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——カラン、コロン。
古いベルの音は入店の合図。
「……いらっしゃいませ」
客が来たか、とカウンター席の奥から気怠げに声を掛ける。愛想がないと思われるだろうが、どうせこの時間帯に来るのは顔馴染みの客ばかり。
だが、一応接客というものをしなければならない。読んでいた漫画雑誌を閉じて、カウンターの奥に隠した椅子から立ち上がる。さて、仕事をしようか。
「こんにちは、冬真くん。コーヒーを」
金色に染めた長い髪を後ろでひとつに結んだ、喫茶店の店員にしては随分派手な見た目の青年が、コーヒーを淹れるために豆をひく。目を引く金髪からチラチラと見える耳にはいくつものピアス穴。
いかにも不良という外見をしているが、別に悪いことをする人間ではない。冬真くん、と気軽に名前で呼ばれる程度には馴染みがある。この店に来る客に、冬真の外見や態度を気にするような人はいない。
「うっす。砂糖ふたつだっけ?」
「そう。由紀美さんは?」
「今休憩中。呼ぶ?」
「いや、いいよ。用があるわけじゃないし」
由紀美さんというのは、この店の経営者であり、冬真の母親でもある人物のことである。
『カフェandバー コスモス』
明るい時間は美味しいコーヒーと共にホッと一息吐く時間を。暗くなったら、お酒と共に日頃の疲れを癒す時間を。
そんなキャッチフレーズとともに緩く営業しているこの店は、母の由紀美と息子の冬真のふたりで営んでいる。中心都市から少し離れた田舎町に、喫茶店と呼べるものは他にない。祖父母の代から続くこの店は、長く地元の人たちに愛されている。
七十年代の洋楽が流れる店内は、とても落ち着いている。音楽の他に、コーヒーを淹れる音と客が読んでいる本のページが擦れた音しか聴こえない。
七十年代の洋楽も、店の内装も全部母親である由紀美の趣味だ。冬真の趣味は一切入っていない。しかし、このいかにも喫茶という落ち着いた雰囲気は、案外悪くないと冬真は思う。
冬真はまだ若い青年で、つい最近成人したばかりだ。3年ほど前から、母親が経営するこの店の手伝いをしている。その前はしっかり高校に通っていたが、赤点とサボりの連発で留年。その後勉強について行けず自主退学。とても情けない結果に、当時は母親にはしこたま叱られたが、辞めてしまったものは仕方がない。それからは、祖父母の代から続くこの店で、のんびり働いている。
「ごちそうさま。由紀美さんによろしくね」
「うっす。あざっした」
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