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「世の中も不思議なことばっかだよなあ〜。家業に甘えたニート紛いのアラサーと、大学進学で上京する有望な若者が愛し合ってる、なんて……」
「……悪かったな、ニートで」
ある日の昼下がり。店には休憩時間中の夏月が遊びに来てきた。
カウンター席に座り、向いに立っている冬真と雑談中。手持ち無沙汰なのか、半分以上飲み干したアイスコーヒーを、ぐるぐるとストローでかき混ぜている。カラカラと氷とグラスがぶつかる音がした。
「んん? 冬真、お前自分で前髪切ったろ」
「うっわ、バレたし……」
「プロの目は誤魔化せねえんだよ。変になってるから、ちょっと見せて……」
そう言って夏月が冬真の髪に触れようとした、その時。
パシッ、夏月の手が叩かれた。横から伸びてきた、秋一郎の手によって。
「…………夏月さん」
口をへの字に曲げて、ぎゅうっと眉間に皺を寄せた秋一郎が、夏月を睨んでいる。夏月を呼んだ声は、いつも冬真を呼ぶ彼の声とは全く違う。長い付き合いの中で一度も聞いたことがないくらい、冷たく尖っていた。
「あ、わりいわりい。これは職業病でさ」
「……前もやめてって、言ったはずですけど」
「ごめんって! 大丈夫だよ、お前のカレシは取らないから」
全く悪びれる様子もなく、夏月はぽん、と秋一郎の肩を叩いた。この光景、何度見たことだろうか。
秋一郎は学校を卒業して、最後の春休みを迎えた。春休みの間、ほとんど毎日店に遊びに来ているし、冬真がバー勤務の日や定休日も、毎日会いに来てくれた。
「じゃあ、そろそろ邪魔者は退散しますかー」
「別に、邪魔なんて言ってないですよ」
「顔に出てんのよ、秋一郎くん」
今の秋一郎のむすっとした顔では全く説得力がない。夏月は全く気にしない様子だが、秋一郎は彼が来るといつもこんな感じの態度を取る。冬真としてはふたりに仲良くなって欲しいが、それはなかなか厳しそうだ。
「じゃあな、冬真、ごちそーさん。秋一郎くんも、向こう行っても元気でな」
「おー、またな」
「……ありがとうございます」
夏月はそう言うと、カウンターに代金を置いて店を出て行ってしまった。
カラン、コロン……バタン。
無機質なドアを閉める音が響いて、店内には冬真と秋一郎のふたりだけになった。他に客はいない。今日も閑古鳥が鳴いている。
夏月が店を出て行く時、彼が秋一郎に向けて放った言葉で思い出す。
——今日は秋一郎がこの町で過ごす最後の日だということを。
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