三.生の女神と死の女神の密約 ――ユディートのボツ台詞から――

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三.生の女神と死の女神の密約 ――ユディートのボツ台詞から――

 『贖罪の屍者』の中で、ユディートが三回だけ洩らした”生命の女神と死の女神の密約”。  本編の中では、ユディートが何を言おうとしてたのか、結局明らかにはなりませんでしたが、バックヤードデータとして”生と死の女神の密約”は、確かに存在しています。  本項はユディートについての設定書ですから、せっかくですので本編には出て来なかった話をここに記録しておこうかと思います。  ユディートの語りで。  ……大したものではないですが。 ↓ココから  ……ちょっとキミ、知ってるでしょ?  ”誕生は肉体の夜明け、死は肉体の日没”って言葉。  うん、そうだよね。誰だって知ってることだから。  まあこの言葉のせいで、死を恐れるひともいたりするけれど。  でもね、本当は裏返しの言葉があるの。  ”誕生は魂の日没、死は魂の夜明け”。  キミ、どういうことか分かる?  つまりね、生命の女神は、正確には誕生の女神で、肉体の守護者なの。  一方で死の女神は、魂の守護者。  ”輪廻の環”は、死者の魂を守護する死の女神が管理してるって、世の中では思われてるけれど、生命の女神も”輪廻の環”の管理に関わってるのよ。  『創世記』をよく読めば分かることなんだけれど。  気が付いてない? ちょっと、それはキミの読み込みが甘いなあ。  多少はぼかして書いてあるかも知れないけれど、キミ、もっと真面目に読みなさい。    で、『創世記』第一章くらいは真面目に読んでる?  そのかみ、あたしたち精人(アールヴ)も、キミたち人間(ホムス)も、”大いなる樹”の二番目の枝から生えたんだよ。このくらいは知ってるでしょ。  果物みたいに樹に生(な)った人類だけれど、それがどんな形だったか知ってる?  普通のひとは、林檎みたいな一個の丸い果物だと思ってるけど。  キミもそう思ってる?  ダメだねえ。想像力が全然足りてないなあ。  いい? 生命の女神の僧侶と、死の女神の神官の間では、その形は葡萄に似てると伝わってるよ。  十の人類それぞれが房になって枝に生ったのよ。  房には決まった数の実があって、その実の中には”熱い種”と”冷たい種”があったの。  その種が、それぞれの人類の男と女の魂になったのよ。  これがどういうことか、キミ、分かる?  つまりね、この世界に存在する魂の数は、初めから決まってるってこと。  この世界が始まったときに”大いなる樹”に生った魂の数は、増えてはいないの。  ごくわずかに減ってることはあるけれど、この世界の魂の総和は、地上に今生きてる人類の数と、樹上に戻ってる魂の数、それに地上を彷徨ってる死霊の総和とほぼ等しいの。  ここでキミの常識を確認。  ひとは樹上から地上へ生まれてきて、死ぬと樹上へ還っていくことは、理解してる?  ひとは生命の女神の守護によって地上に誕生して、死の女神の守護によって樹上へ還るのよ。  樹上に還った魂は、地上で生きていた時に一番信じていた神が創った領域に行って、そこで楽しく暮らすの。  何不自由のない、満ち足りた樹上の生活だけれど、あるとき、ふっと物足りなくなるのよ。  地上でやり残した”何か”の存在に気付くの。  樹上の魂は、そのやり残しが何なのかがはっきりして、本当にそれをやりたくなったとき、地上へ生まれてくるのよ。  地上に降りてくる魂は、生まれてくる時に自分で境遇を決めるの。  やり残しをやり終えるのに相応しい家柄とか、両親とか、肉体の特徴とかね。  再誕後の境遇を決めた魂は、最後に生命の女神ヴィータと死の女神モリオールの小神格に、地上での活動期間つまり寿命の許可をもらうのよ。  その寿命は、やり残しの内容で決まるんだけど。  ほとんどは魂の言うとおりに認められるけど、女神たちが期間を変えることもこともあるみたい。  そうして、全てが決まった魂は、生命の女神の聖霊に見送られて、母胎に宿るの。  そして地上での活動期間が終わると、死の女神の聖霊に迎えられて樹上にまた戻るのよ。  それにこの”輪廻の環”中で魂の総和が一定になるように、生命の女神も死の女神も、常に注意を払ってるんだから。  いい?  生も死も、本当はひと繋がりで、まさに夜明けと日没みたいなもの。  それにキミの苦難も、全てはキミがキミのために、樹上で決めてきたこと。  だからくじけずに頑張りなさい。  分かった?    あ、魂が減ってる理由?  ふふーん、キミ、気付いたんだね。  その『ごくわずかに減ってる』っていうのが、実はすごく大事なところなのよ。  生命の女神と死の女神が管理する”輪廻の環”の中で、魂は樹上と地上を何度も往復してる。  魂の行き場は、そのどちらかしかないの。  普通はね。  でもね、例外が二つあるのよ。  一つは、魂が虚無での消滅を望んだ場合。  ほとんど例はないけれど、打ちひしがれて疲れ切った魂が虚無の神ニヒルの禁じられた賛歌を唱えたときに、魂は虚無に呑まれて完全に消滅することがあるの。  その禁呪を知る者自体、ごくごく稀だけれど。  で、もう一つが、生命の女神と死の女神が認めた場合。  それが”生命の女神と死の女神の密約”なんだから。  ただこの世界が生じて以来、”密約”が発動したことなんか、一回か二回しかないんだけれど。  じゃあその”密約”が何なのか?  ”密約”で認められた魂が、どこへ行くのか?  それはキミが自分で考えてみて。  でも、これだけは覚えておいてね。  全ての魂には、いつかその”密約”が発動する日を期待されてる、ってことを。  それはキミだって、例外じゃないから。  もっとも、その”密約”が発動するのは、その魂がありとあらゆることを経験し尽くした、永劫の果てでのことだけれど……。    ↑ココまで。  さすがに長いですし、ストーリーの腰を折ってしまうので、不採用となりました。  他愛もないような話ですが、これが白銀時代ではとても重要な思想だったりします。表に出るのは、これが最初で最後のような気がしますが。            
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