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十五分足らずの見舞いを終えた高辻は、約束通りバス停の待合ベンチに座る奏の元に戻ってきた。「お母さんは大丈夫なのか?」と尋ねると、高辻は「寝てました」と一言。
前回のバスが、さっき出発してしまったばかりだ。時刻表によると、次のバスがやってくるまで約二十分。せめてそのあいだだけは、高辻もこの場にいてくれるだろうか。
相手の動向を窺っているうちに、高辻は奏の横に腰を下ろした。高辻の重みでベンチがわずかに沈む。
奏はジャケットを返し忘れていたことを思い出し、奏は膝にかけていたそれを引き剝がす。だが高辻は「そのままかけておいてください」と奏の慌ただしい手を制した。
「もう一度訊きます。どうしてここに?」
端正な顔がこちらを向く。奏は膝に置いた高辻のジャケットをぎゅっと握った。
「れ、礼を言いに来た」
「――は?」
高辻の眉根が歪む。
そうだ。奏と会社のために、高辻はこの五年のあいだ、よく働いてくれた。自分はその礼を……感謝を伝えに、来たはずなのに。
奏は高辻に顔を向ける。
「おまえも僕のことを、好きなんじゃないかと思ったからだ」
すると高辻は意外そうな顔をして、口を結んだ。ベンチの背もたれに背中を預ける。腕を組んで夜空を仰ぐ。
少し間を置いた高辻が空に放ったのは、
「何を言うのかと思えば……今さらですか」
予想通りともいえるし、違うともいえる。そんな高辻の言葉に奏は顔を下に向けた。尊大とも捉えられてもおかしくない発言をした今、どう続けばいいのか分からなくなる。
「社長は……いや、もう社長じゃないのか」
独り言のように呟いてから、高辻は「いい加減、この喋り方も飽きたな」と自嘲気味に笑った。
「どうしてそう思ったんです?」
奏は喉仏に力を込め「どうしてって……」と言い淀む。
「俺は所詮、ツギハギで繕った品のない人間だ。あなたには釣り合わない」
きっぱりと言ってから、高辻はフッと力が抜けたように笑って続けた。
「……そう思っていました。高校生の時から」
高辻の言葉に、奏は「えっ」と相手を見る。
目が合うと、高辻は知らなかっただろ、というように寂しそうな瞳を奏に向けた。
「当時はすいませんでした。逃げるみたいに学校を辞めてしまって」
言葉遣いはそのままだったが、喋り方の調子がいい意味で乱雑に聞こえた。きっと敬語さえ遣っていなければ、昔の高辻とそう変わらないだろう。同級生として、対等に話してくれている。それがこんなにも嬉しいなんて。
奏は「う、ううん」と首を強く横に振った。
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