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口にすると、声が震えた。じゃあ女性にすればいいじゃないかと声が飛んでくるかと一瞬思ったが、さいわい、それはなかった。
「好きなんだ」
やはり高辻は応えない。もう何度も聞いているからだろうか。その言葉は高辻の胸どころか、耳にも届いてくれない。高辻という的には刺さらない。
けれど、奏は言わずにはいられないのだ。
「僕は本当におまえのことが好きなんだよ……理仁」
高辻はしばらく間を置いてから、椅子の背に掛けていたスーツのジャケットに袖を通した。キッチンカウンターから出た男が、玄関へと続くドアを開ける。
次の瞬間、高辻がボソッと何かを言った。奏は「え?」と頭を上げる。
「今なんて言った?」
高辻は奏に向けた体を前に折った。そして「下の駐車場でお待ちしています」と言い残し、あっという間に玄関から出ていった。
2LDKの部屋に一人残される。呆然としながら、高辻の今の言葉を辿った。
――何も分かっていないくせに。
奏の耳には、確かにそう聞こえたのだ。
高辻の淹れてくれたコーヒーの残り香を嗅ぐ。今日はこぼしてしまったので、満足に飲むことができなかった。
早く準備をしなければ、また高辻に怒られる。怒られる分にはいい。無視されるより、ずっとましだから。
奏はテーブルの上に突っ伏した。「理仁」と舌に乗せる。甘くて苦い痛みが胸に広がった。
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