オメガ社長は秘書に抱かれたい

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「僕は、おまえがほしいんだよ……っ」  高辻が聞こえるようにため息をつくと、「何度も同じことを言わせないでください」と言い返される。  どんなに呆れられても、縋りついてしまう自分が憎かった。恥を晒してでも、この男に抱かれたいと願う自分の浅ましさに嫌気が差す。どうしてこんなに好きなんだろう。この男じゃないとダメなんだろう。胸が痛い。  一瞬の隙を()き、奏は高辻の手から抑制剤を奪った。ベッドに注射針を突き刺し、親指で注入ボタンを押す。マットレスに薬剤を染みこませて捨てたあと、空になった注射器を床に投げ落とした。  奏の決死の行動に、高辻は呆れてものも言えないようだ。心底面倒くさそうな眼差しを、奏に向けた。それが悔しくて、奏は震える声で訴えた。 「じゃあ……っどうして助けにきたんだよ。僕のことなんて、放っておけばよかったじゃないか!」  高辻は不機嫌そうに、眉根を歪ませた。 「あなたは新進気鋭の社長……著名人ですよ。どこかの男に犯されて、万が一、番にされて妊娠でもしたらどうするんですか」 「そんなことはこっちの勝手だろ!」  奏はベッドを叩いた。スプリングが軋み、ベッドが揺れる。 「僕が誰の番になろうと、誰の子を妊娠しようと……同情でも抱いてくれないおまえには関係ない!」  自分の言葉に傷つく。そう……同情でいいのだ。毎朝コーヒーを淹れてくれるように、業務の一環だと思ってくれて構わない。  ふと沸いた考えに、奏はそうか、と納得する。初めから、こうすればよかったんだ。 「給料……払うよ。それならおまえも、仕事だと思えるだろ? それで僕を抱いてくれよ」  高辻は五人兄弟の長男だ。実家にいる妹や弟たちのためにも、まだまだ金は必要なはずだ。実際、ボーナスが出た際にはすべて家族への仕送りに充てていると聞いた。  この提案なら、受け入れてくれると思った。嫌々でも、金のためだと思えばきっと――。  だが高辻の反応は、予想していたものとはほど遠いものだった。  それまで苛立ちをあらわにしていた男の表情が、スッと消える。常にセットされた前髪が乱れている。高辻は額を覆う髪の束を造作に掻き上げ、呆れるように「はっ」と笑った。 「そんな程度ですか」 「……え?」 「私を見くびることが、あなたの愛ですか」  高辻は静かに怒りをあらわにして、侮蔑のこもった目で奏を見下ろした。 高辻の言ったことが分からなかった。ただ、こんなふうに感情を見せる高辻は初めてだ。  困惑しているうちに、高辻はドアの近くに置いたビジネスバッグから何かを取り出した。ベッドの上に投げ出されたそれを認めた瞬間、奏は頭が真っ白になった。  それはディルドーー男性器を模した大人の玩具だった。これで自分を慰めろということなのだろうか。ショックで言葉が出ない。 「気づきたくないかもしれませんが、あなたは私じゃなくてもいいんですよ」  どこか悲しげな声に聞こえたのは、自分が悲しかったからだろうか。 「どちらにせよ、今回のヒート時にあなたに渡すつもりだった代物です。これでご自分を慰めてはどうですか」 「お、おまえ……っ」  唇がわなわなと震える。悲しみと怒りが、形にならずに胸の中でうごめく――。 「支払いはこちらで済ませておきます。ご満足いただけた際には、どうかお気をつけてお帰りください」  酷く冷たい声が、耳にこびりついて離れない。高辻が出て行ったドアに向かって、奏は玩具を投げつける。床に転がったそれを見ていると、虚しさを洗い流すように涙があふれて止まらなかった。
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