オメガ社長は秘書に抱かれたい

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 自分はこの家の子ではないのかもしれない。考えると怖くなり、当時の奏は検査の診断結果を両親に見せることができなかった。  だがそれは思ったより早く、あっさりとばれた。学校に行っているあいだに部屋を掃除しようとした母が、ゴミ箱の中にくしゃくしゃの紙を見つけたのだ。  その夜、早速家族会議が行われた。最悪追い出されてしまうんじゃないかとびくびくする奏に、父は言った。 「くだらない。Ωがなんだ。αがなんだ。おまえが私たちの子どもであることは変わらない。なあ二代目候補」  父の励ましに、奏は泣いた。不安だった気持ちに寄り添い、払拭してくれた父。『二代目候補』と冗談っぽく言いつつ、プレッシャーを与えてこない父――。  この時、奏は心に決めた。父の名に恥じない人間になろう。父に何かあった時、父の会社を守れる人間になろう――と。  だが、それも数十年後の話だと思っていた。父とその話をしてから十年も経たずして、あっけなく父が逝ってしまうとは思わなかった。  高辻は一歩前に出て、奏が床に投げ捨てた契約書を拾った。(ほこり)を払うように書類をひらひらさせてから、社長机の上に置く。 「社長ともあろう方が契約書を粗末にするとは感心しませんね。この一枚にどれだけの重みがあるのか、あなたが一番に分かっているはずでしょうに」 「それはおまえが……っ」 「私が?」と威圧感のある声で遮ると同時に、見下すような視線を奏に落としてくる。  高辻は奏の傍に立つと、奏の頭の位置に肩がくるほど高身長の持ち主だ。    ぴっちりとセットされた黒髪には隙がなく、高辻から抑揚の少ない声と感情の見えない視線を浴びせられると、奏はいつも見えない針でこめかみを刺されたような気分にさせられる。  知らない者からすれば、高辻の切れ長の瞳からは、理性的や合理主義の言葉が浮かぶかもしれない。仕事に感情など持ち寄らない男に見えることも、あるだろう。たしかにそういった一面も、高辻にはある。  奏が継いだ父の会社は、アプリ上で気軽に医療従事者と話すことができ、健康の不安や何科にいけばいいかを相談できるwebカルテサービスのアプリ『ナニカカ』を世に広めたベンチャー企業だ。  社員は医療職に従事していた者が多く、看護師免許や保健師免許、中には医師資格を持つ社員もいる。だが、医療職としての腕はいいものの、法律や会社の仕組み、制度に詳しい者は少ない。  そんな中、書類整理などの事務仕事や雑用、営業から人事までを一人で取り仕切っているのが、高辻だった。  膨大な仕事量を淡々とこなしているように見える高辻に、多くの社員が畏れの念を抱いているのだろう。仕事着であるスーツをビシッと着込んだ高辻が、パーテーションで区切られただけの解放感のあるオフィスに入ってくると、社員たちの佇まいや表情が、心なしかピンと張るように見える。  その様子を唯一ガラス窓とブラインドで区切られた社長室から窺えるたび、奏は複雑な気分になるのだった。
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