オメガ社長は秘書に抱かれたい

34/50
前へ
/50ページ
次へ
***  机の上に積まれた郵便物の束を見て、奏は無意識のうちにため息をついた。  社員には会社の郵便受けに郵便物が届いた場合、社長室の机の上に置いておくよう伝えてある。  が、封を開けていいとまでは言っていなかった。契約書類だったり、社労士事務所や会計事務所から送られてきた書類だったり。そういった重要な書類を、社員の目には触れさせられないからだ。  奏は煩わしさを飲み込み、郵便物を束ねる輪ゴムを外した。  この数年はすべて高辻に――元秘書に、郵便物の仕分けや整理を任せきりでいたのだ。レターオープナーを手にしたのは、何年ぶりだろうか。ここまで多くの郵便物を目にしたのも久方ぶりだ。  奏以外に郵便物の封を切ってもいい人間は、もういない。  高辻から退職願を出されたのは、軽井沢での一件後、東京に戻ってすぐのことだった。 「お話ししたいことがございます。少しお時間よろしいでしょうか」  社内の定例ミーティングを終えたあと、会議室から出ると、高辻はそう言って奏を呼び止めた。  その時点で、奏は何を言われるのか察した。いや高辻と肌を重ねた時、キスをされた時には、すでに奏は感じ取っていたのだと思う。奏を慰めたことを、高辻は後悔することになるんじゃないかと。律儀で真面目な男だ。社長に手を出したからには、責任を取ると言い出すんじゃないだろうか……と。  だから辞めさせてほしいと言われた時、奏は驚かなかった。  ああ、ついにか。  案外と冷静に高辻の言葉を受け入れている自分に、拍子抜けしたほどだ。  そして一ヶ月前の最終金曜日、高辻は約五年間奏の秘書として勤めた会社『ナニカカ』を退職した。  社員から受け取った花束を抱え、退職の挨拶を済ませた高辻の表情は、憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとしていた。それを認めた時、奏にはオフィスに飛ぶ労いの拍手の音が、遠い所で聞こえた気がした。  高辻が会社を去ってから一ヶ月。はじめの一週間は高辻から引き継いだ仕事にあたふたしていた社員たちも、徐々に落ち着きを取り戻している。奏を除いて。  コンコン、と社長室のドアを叩く音に、奏は「はい」と返事して開封作業の手を止めた。  電話の子機を手にした女性社員が、自信なさげに社長室へと入ってくる。 「芦原社長、今よろしいでしょうか。東陽証券の山口さんからお電話です」 「東陽証券? ああ、あそこからの電話は基本的に営業だ。社長はいないと言って適当に断っておいてくれ」 「ですがどうしても芦原社長に替わってほしいとおっしゃっていまして……」 「向こうも営業で必死だろうから仕方ないだろう。君の裁量で適当に断ってくれていい」  女性社員は『適当にって言われても』と言いたさげに不安そうな表情を浮かべる。  だが、ここで社長である奏が電話に出たら、向こうは必死になって営業してくるだろう。  メディアにも顔出ししている奏にとって、会社のイメージを損なうような対応はできない。話を聞くしかなくなる。だがしかし、買う気のない株を営業される時間は無駄だ。  奏は下手から「頼むよ」と笑顔をつくり、なんとか女性社員から「かしこまりました」の言葉を引き出した。  数年前、今日と同じことを頼んだ時、高辻はつべこべ言わずに「承知致しました」と答えた。それから同じ会社から営業の電話がくるたび、勝手に断っておいてくれた。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

927人が本棚に入れています
本棚に追加