オメガ社長は秘書に抱かれたい

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***  高辻が会社を去ってから、季節はうだるような真夏を過ぎ、あっという間に秋になった。   奏は秋が、あまり好きではない。夏は近くにいた空が遠のき、青々しかった空気の匂いが日に日に薄まっていくからだ。  寂しいと思う。あの男と触れ合ったことを、思い出にできなくなる。頬に吹きつける木枯らしが後悔を連れてくるようで、高辻に出会ったこと自体を否定したくなってしまうのだ。  軽井沢で高辻と最後に触れあったのが初夏のこと。あれから半年近くが経ったのかと考えると、不思議な気分だった。秘書として高辻が傍にいた時間よりも、一人でいたこの半年の方がずっと長く感じた。  会社に着いてから、奏はセキュリティカードキーでオフィスに入った。すれ違った数人の社員たちから「お疲れさまです」と挨拶をもらい、社長室に足を向ける。  とあるデスクの傍を通りかかった時だ。席を立った女性社員が「社長」と奏を呼んだ。  首を捻って見ると、以前、証券会社からの営業電話に手こずっていた女性社員だった。 「先ほど社長宛に奥谷様という方からお電話をいただきました」  高辻がいない今、社員一人一人が以前よりだいぶ電話対応が上手くなった。少し緊張気味ではあるが、この女性社員も前に比べてずいぶんと上達した。 「奥谷? 知らないな」  奏は頭を横に倒した。女性社員は「またかけ直しますとのことだったので、お待ちいただければいいかと」と自分の判断を述べる。 「そうみたいだな。どうせ電話番号を聞いても、教えてくれなかったんだろ?」  はい、と頷く女性社員に、奏は「本当に俺に用事があるなら、またかかって来るさ」と言って、一人社長室の中に入った。  社長椅子に座り、ひじ掛けに肘を置いて考える。奥谷という名前に、聞き覚えはないものの、仕事関係で会ったことのある人物だとしたら『どちらさまですか』とは聞けない。  少し前に雇った事務員のおかげで、郵便物や書類関連の業務は奏の手から離れてくれた。だが業務以外のこと――例えばこういった時に、高辻の存在の大きさを改めて痛感する。  聞き覚えのない名前を聞いた時や、顔は思い出せるのに名前が思い出せない相手に遭遇した場合など。高辻は素早く察知して、こっそり教えてフォローしてくれたのだ。 「……甘えすぎていたな」  奏は独り言を吐きながら、自虐的に笑った。今思えば甘えている自覚もないほど、高辻という男の存在とその能力に頼り切っていた。  その上、ヒートに乗じて抱かせようとしたのだ。逆にこれまでよく耐えてきたと思う。高辻が自分から離れていくのも当然だ。寂しい気持ちを引きずる資格も自分にはない――。  だからこそ、このままじゃ駄目だ。  奏はそう自分に言い聞かせる。椅子から立ち上がり、壁際のキャビネットに向かった。スチールのそれを開け、指の第一関節ほどの厚さのファイルを手に取り、中を開く。  それは高辻が以前まとめた、名刺のファイルだった。同じ医療系の会社から、メディア系、通信系、中には銀座にあるクラブのママの名刺もファイリングされてある。
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