色違いの風船

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第1話 黄金の風、それから 瞼の裏側、視界がオレンジに染まる。 焼けるような西日の熱にうなされ、野暮ったい眼を開き、目を覚ました。 「西日ってやつは本当に遠慮がないな」 もぞもぞと芋虫のように上体を起こしながら、妹尾徹は小さくつぶやいた。 すると背後から押し殺すような笑い声がまばらに聞こえてくる。 笑い声の意味を理解し、妹尾徹は思い出した。 彼が寝ていたのは図書館の窓際の椅子の上であったのだ。 最悪の事態である。 一般の学生がわんさかいる大学の図書館の椅子の上で、彼は自らの稚拙なポエムを披露してしまったのだ。 すっかり真っ赤になった耳を隠し、携帯で通話しているふりをしながら足早に図書館を後にした。 最近は本当についていない。 大学で初めてできた彼女には「男らしさがない」と捨てらてしまったし、トイレに財布を忘れてしまい中に入っていた現金二万円をごっそり持っていかれたこともあった。やはり何か良くないものでもついているのだろうか。今度近くの寺だか神社だかに行ってみようか。そんなことをぼーっと考えながらボロボロで半ばバラック小屋のようになっている部室棟に足を向けた。 今にも朽ちて落ちそうな錆び切った階段を大きな音を立てながら登ると、二階の一番奥に安っぽい「現代文化研究会」の看板が見えてきた。 扉の前まで足を止め、引き戸に手をかける。さび付いた扉はガラガラとやたら仰々しい音を立てて開いた。 瞬間、金色の風が頬を掠めた。まぶしさに目を細めながら前を見ると、ひどく色あせたカーテンが窓から入る風を受けて大きく閃いていた。 それに包まれながら少年がうたたねしている。 豊かなまつ毛に太陽の光が反射し、鱗粉のように光り輝いていた。 きめ細やかな白い頬にはうっすらと産毛が生えており、秋のすすきのように見えた。 あまりに非現実的すぎる光景に見とれてしまった妹尾は、ぼろカーテンに包まれ眠っている美少年が、初めて大学で出来た友人、樋口佳であることにしばらく気付くことができなかった。 「このソファ、そろそろ買い替え時かな。寝るたびに首を寝違えるからたまったもんじゃない」 樋口は首をひねりながら、ボロボロになってスポンジが飛び出しているソファを指さしてぼやいた。 「そんなこと言ったってうちにそんな金ないだろ。今じゃ部員も僕とお前しかいないんだから」 実際、妹尾と樋口が所属している同好会「文芸作品研究会」は存続の危機にあった。 会員は減る一方で、まともな活動内容もなく、何代か前の先輩が小説のコンクールか何かで賞を取ったという実績だけでどうにか食い繋いでいるような状態であった。 かといって、危機的な状況を打破しようと熱心に活動したり、新入部員を集めたりすることは二人ともやろうとせず、今となってはこのありさまである。 妹尾の反論を受けてしばらく黙っていた樋口が、「妙案を思いついた」とでも言うように自信ありげな笑みを浮かべ、口を開いた。 「じゃあさ、お前の書いてる小説、どっかに出してみようぜ。もしかしたらなんか引っかかるかもしれないだろ」 一瞬ぎくりとした。確かに小説は書いている。書いてはいるが未だに一ページ分もかけていない。書いては消し、書いては消しを繰り返していた。 「いや、あれはまだ執筆中なんだよ。だからまだどこにも出せないんだ」 苦し紛れの言い訳で、難を逃れようとしたが、樋口は止まらなかった。 「執筆中ってお前、去年の夏から書いてるだろ。いつになったら完成するんだよ」 樋口が追い打ちをかけてくる。こいつ、僕の小説が進んでないことをわかっててやってるだろ、と妹尾は思った。 「長編だから時間がかかるんだ。お前は書いたことないからわからないだろうけどさ」 樋口は「でもさあ」と食い下がって何か言いだそうとしていたが、妹尾は無視してポケットから煙草を取り出し、部室を後にした。 まだうしろでなにか樋口がしゃべっていたが、それも無視した。 喫煙所で一人煙草を吸いながら、カーテンのベールに包まれうたたねしていた美少年の姿を反芻する。本当にあれは同じ人間なのだろうかと思わせるほどに、目覚めた後の彼は正反対であった。減らず口をたたくし、無遠慮にモノをいうし、いつも往生際が悪い。黙っていればきっとモテるだろうに、いらないことばかり言ってしまう。 そのせいで友達は少なく、あの容姿でありながら彼女の一人もいない。この間も「香水が臭い」と指摘したとかで、クラスの女子を泣かせたりしていた。 「口は禍の元」という言葉を、そのまま具現化したような男が、樋口佳であった。 樋口のことを考えながら、あいつを受け入れてやれるのは僕ぐらいだろうな、と妹尾は思った。 そして、あの美しい寝顔を知っているのも、きっと僕だけなのだろうとも。 金色の風はざわざわと木々を揺らし、黄色い葉を選別するかのように枯葉だけを地面に落としている。 妹尾は煙草を半分ぐらいまで吸ったところで火を落とし、足早に部室へ戻った。
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