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第二章 生涯、治療
家路に着きドアを開けると、甘い香りが漂ってきた。どうやら今日の夕食は佐那が大好きなカボチャのクリームシチューのようだ。
「おかえり。どうだったの?」
佐那は無邪気にそう問いかけてきた。
「ええと、うん……やっぱり、ドライアイだって」
「そっか……」
「それとさ……」
「どうしたの?」
佐那はシチューの鍋をおたまでかき混ぜながら私に問いかけてきた。藪先生の見立てはほぼほぼ緑内障ということなのだろう。だが、私の中で十分に心の整理がついているわけではない。それに、先生が緑内障だと言い切ったわけでもなかった。今佐那に打ち明けることが適切かどうか?と考えたとき、私の中ではどうしても憚られる部分があった。
「ちょっと、目の神経が傷んでいるんだって。眼圧を下げる必要があるからそっちの目薬もつけてって言われたよ」
「そう……大変ね。でも、目薬をさしていれば良くなるんでしょ?」
「……うん。まあ、そうだといいけどね。一応、目薬がちゃんと効いているか確認するために三日後に来てってさ」
「そうなんだ……辛いけど、早く良くなるといいね」
佐那はそう言い、コンロのスイッチを切った。どうやらシチューが出来上がったらしい。
「何か、手伝うことあるかい?」
私がそう尋ねると、
「じゃあ、お皿とお茶碗出してもらえる?それ出し終わったらドレッシング出して。サラダもあるから」
佐那は微笑みながらそう答えた。私は佐那のこの笑顔に惚れて付き合い始め、そして結婚を決めたのだ。この笑顔をこの眼で見ることができなくなる日がいずれ来るのだろうか……。
「お母さん、ご飯いつー?」
聞こえてきたのは海斗の声だった。海斗は今小学五年生。本来なら今頃の時間はスイミングスクールで練習に勤しんでいる頃なのだが、新型コロナウイルスの影響でスイミングスクールが閉まっており、練習ができない状況がここ一ヶ月以上続いている。
「もうすぐできるわよ」
佐那はそう答えながら深皿にシチューを盛りつけ、テーブルへと並べ始めた。アボカドと豆腐のサラダとシチュー、ご飯が出揃ったところで、
「じゃあ、いただきます」
と私は声をあげた。クリームシチューのなめらかな食感に加え、かぼちゃの持つ独特の甘みが口の中にほんのりと広がっていく。佐那とつき合う前はカボチャのシチューなど食べたことなどなかった。昔学生だった頃、初めて私の家に佐那が来たときに作ってくれたのがこのシチューだった。ジャガイモの代わりにカボチャが入ってるシチューを私はそれまで一度も食べたことはなく、今までにない新鮮な味わいを感じたのを今でも覚えている。
「今日の、美味しいね」
私が佐那にそう告げると、
「今日の『も』、でしょ?」
と、佐那はしたり顔でそう訊き返してきた。私は無言で頷く。佐那にはやっぱり敵わないなと私は心の中で苦笑いを浮かべた。
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