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第三章 暗中模索
通院から三日が過ぎ、予約していた日がやってきた。私は予約の時刻である十八時に例のビルの四階へとエレベーターで向かう。
角膜保護の目薬と殺菌の目薬についてはそこまでの差し心地の悪さなどは感じなかった。むしろ目が潤った感触になり、少し楽にさえなったかのように思えた。ところが、黄色いキャップがめじるしのミケランニ%については厄介だった。寝る前一回の点眼だからまだ良いが、とにかく目にしみるのだ。そのあたりについても確認をしないといけない。
「柳沼さん、柳沼文雄さん」
診察券を出してから五分も経たないうちに私の名前が呼ばれた。待合室に人が少なくソーシャルディスタンスを保つ上でもいいことだ。しかも待ち時間が少ないとなれば、さらに良い。
「まずは眼圧を測りますね」
女性に促されて、私は眼圧系の前へと腰をかける。眼球に空気が当たるあまり心地よくない感触を覚えたあと、検査機械をいじっていた女性が
「右十八、左十八ですね」
と告げた。前回の検査のときに比べてほとんど変化のない数字を前に、背筋が寒くなるのを感じた。こうして眼圧が下がらない間に、私の視野欠損は日々進行しているのだろうか。そんな私の心の動揺を知ってか知らずか、女性は笑顔のままで
「じゃあ今度は近くの視力を測りますね」
と告げた。近くの視力、という聞き慣れない言葉に戸惑いつつも、私は促されるままに椅子へと腰掛けた。手元には一冊の薄い本が手渡され、そこには様々な大きさのランドルト環、視力検査でいつも使われるあの輪っかが描かれていた。目と本の間に三十センチほどの距離を置きつつ、私は女性から指示されるままに穴の開いている方向を答えていく。下の方までひととおり検査を終えると本を閉じ、
「三日前からお変わりはありませんか?」
と尋ねてきた。
「はい。目の痛みは相変わらずです。それと、あのミケランっていう目薬はだいぶ目にしみますね」
「わかりました。ではその旨先生に伝えておきます。それじゃあ診察室の前でお待ち下さいね」
女性は告げると、私を診察室前の席へと促した。その後待つことおよそ五分。
「柳沼さん、柳沼文雄さんどうぞ」
薮先生の声が響いてきた。私が椅子に座ると、先生は部屋を暗くして顕微鏡を覗き込んだ。薮先生は私の目を顕微鏡で見ながら、
「眼圧は左も右も十八ですね。高いですね」
と言いつつ、私の瞳から何本かまつ毛を抜いた。
「眼圧を下げないと視神経がどんどん痛んでいくからね。十二か十三まで下げないとダメですからね」
薮先生はそう言い終わると、顕微鏡を覗き込むのをやめた。
「眼圧を下げる薬はどれもまぶしいという副作用はあるよ。でも眼圧が下がらない方がよっぽど困るからね。良薬は口に苦しと言うから、我慢しさし続けてくださいね。次は一週間後くらいにまた来てね」
薮先生はそう告げると、私のカルテを閉じた。どうやら、診療は終わりということらしい。
「それじゃあ、来週また眼圧の経過見るからね」
「あの……!」
私は声を上げた。
「どうしたんですか?」
薮先生はカルテに目を落としながらそう訊いてきた。
「私は、緑内障なんですか?」
私にとっては少なくとも非常に大事な質問だ。それを思い切ってぶつけてみた。すると薮先生は言った。
「その診断も含めてじっくりと経過観察していきましょう。一ヶ月二ヶ月で何かが解決するって話じゃないからね。少なくとも、すぐに手術が必要という段階ではないから、安心してね」
安心できないからこそ訊いているのだが、薮先生には伝わっていないようだった。だが、私は通い続けなければならない。
「通いやすいかかりつけの眼科に通うことが大事です」
三日前、テレビで医師は確かにそう言っていた。通院をやめた先に待っているのは「失明」の二文字かもしれないのだ。
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