被食者精神

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食べられたいとかは考えたことがない。ただ、生存競争という土俵で、僕は彼に負けたのだと思う。 理科の授業で、人間は誰にも食べられないと習った。僕は授業後、先生に「それはおかしい。僕は食べられます」と伝えたら笑われた。変な夢でも見たのか、と。 その日、いつもの公園に行くと、隣に住んでるお兄さんがいた。その人は髪質や色、顔の感じが何となく僕に似ていた。でも僕とは比べられないくらいとても綺麗なだった。透明感があって、ちょっと儚さを感じる人だ。彼は僕の手を取って、いつものように自分の部屋に連れていった。 お兄さんの作るご飯はまずかった。だから僕はお兄さんの家でよくあまーい卵焼きを作った。砂糖たっぷりにして、鮮やかな黄色に整った形。豆腐、ワカメを投げ入れたお味噌汁と、ふっくら炊けたご飯(お兄さんも米とぎと炊飯器のスイッチを押す位は出来る)を並べて、二人で食べた。学校の話や、最近読んでいる漫画の話をした。楽しかった。 食後は2人でカップアイスを食べた。僕はいちご味をよく食べていたけど、お兄さんは唐辛子とかキノコスープとかよく分からない味を食べていた。そういうのが好きかと聞いたけど、首を横に振っていた。じゃあなんで? とますます不思議だった。 お兄さんは必ず僕と一緒にお風呂に入った。そして、時折じっと体を見て、触っていた。不思議な感じだった。髪を乾かして貰ったあとは、必ず体温と体重を測ってもらつた。 寝る前は本を読んでくれた。大抵は絵本だったけど、たまに小説もあった。正直言って棒読みが多かったし、たまに無言になってじっと読み始めることもあった。それでも、お兄さんがずっとそばにいてくれることが嬉しかった。 僕が眠りに落ちる直前、お兄さんはいつも僕の耳に何かを差し込んでいた。ある日気になって聞いてみたら、耳栓というものらしかった。静かになる道具らしい。何でそんなものつけるのと尋ねると、「うるさいと起きちゃうでしょ?」と微笑んで答えてくれた。夜の外はうるさいのかな。  ある日、僕のお母さんとお父さんは隣からいなくなった。少し寂しかったけど、お兄さんは僕を殴りもしないしきちんと目を見て話してくれるから好きだ。その日はお兄さんにくっついて寝た。  ある日僕の隣の席の子がいなくなった。事故で亡くなったと伝えられた。僕はなんだか怖くてその日は早足で帰ろうとした。校門の外にお兄さんがいた。 「人の死んだ匂いがした」  そう言って微笑んでいた。僕も事故で死ぬのかと聞いたら、お兄さんは首を横に振る。 「君は、僕が食べるまで死なないよ」  そう言った。 「僕が事故にあったら?」 「遭わないさ」 「なんで?」 「何ででも」  僕はその言葉にひどく安心したのを覚えている。  春になるとお兄さんは僕の太ももの付け根に歯を立てた。痛いのは最初だけで、それからはだんだん頭がくらくらしてくる。しばらくしてお兄さんは口を離す。そこには歯形がついていて、血液が少し垂れていた。一年に一度、こんなことをしていた。  お兄さんは優しかった。ずっと一緒にいたいと勘違いしてしまうほど。でも毎年春が来る度に、お兄さんがそんなことをする度に、僕はやっぱり食べられるんだと思っていた。 そういう生活を、もう10年も続けてきた。僕は高校に入学した。僕は随分成績が良かったみたいで、県内一番の進学校へ入学を勧められた。しかし僕は死ぬ前によりたくさんの人を見ておきたかったから、国内上位の大学を狙う特別進学コースからスポーツ推薦や高卒就職も加味した普通科まで揃うマンモス高へ進んだ。お兄さんは--カルラさんは姿を変えた。髪色を少し変えて、顔の形もより美しいものに変化した。僕の面影は消えてしまったが、笑い方は変わっていない。周りには整形したと伝えてある。 そしてカルラさんはいよいよ僕を食べる準備をしていた。 全ての食事は常にバランスを考えられていたし、買い食いした際は報告しなければならなかった。ある日悪戯心が芽生え、買い食いの事実を黙っていた。しかしその日は夕食があまり食べられず、不審に思われたカルラさんから問い詰められた。僕はあっさり白状した。 「次同じことをやったら財布を預かるからね」 微笑んでいたが、目は笑っていなかった。でもどこか面白そうにしていた。 これをきっかけにして、僕にもやや遅れた反抗期がやってきた。カルラさんの言うことに一々反発するようになったし、黙って買い食いしたこともあった。1度ゲームの課金をたくさんやってスマホの支払いがやばいことになったが、カルラさんは怒りもせず「そんなに面白かったの?」と、課金した理由について興味津々に聞いてきた。それが何だか気に食わなかった。何でここまで怒らないなんだろう。 ある日、僕はとうとう言い放った。 「僕はあなたに感謝してるけど、食べられたくはない! 将来大学に行きたいし、働きたいし、お金でたくさん映画を見たい!」 カルラさんはいつもの微笑を携えたまま、静かに言葉を紡ぐ。 「ならば勝ち取って見せなさい。被食者ではないと、お前自身が証明しなさい」 僕は彼に殴りかかった。彼は僕の拳を身を交わして避ける。それとほぼ同時に彼は腕をすっと伸ばして、僕のうなじを掴んでいた。 「…………」 「はは、首折っていい?」 ぞっとした。ヤンキーの喧嘩を何度も見たことがあったけど、ここまであっさり勝負が着いたことなんてなかった。 彼はそのまま僕の首を掴んで、押し飛ばした。幸い布団のある場所に突っ込んで行ったから怪我はなかった。 「味見でもしようかな」  カルラさんはそう言って、僕のうなじに歯を立てた。鋭い痛みが走って思わず唸る。腕を押さえつけられて、多分背中に乗っている。痛い、痛い。追い詰められた草食獣はきっとこのように弱っていくのだろう。  じゅるじゅると水音がする。視野が一瞬霞んで、吐き気を催す。彼は荒く息を吐きながら何度も噛み付いて血液を吸い取っていく。  食われている。  僕は被食者だ。  それから、僕は食べられることに関して彼に文句を言うのをやめた。被食者精神というものがあるのなら、あの日明確に刻まれたのだろう。  僕の学校では時折中庭でヤンキーが喧嘩をしている。もうお馴染みの風景で、僕はこういう人間もいるんだなあと眺めていた。しかし先輩曰く、ヤンキーの人数は年々減少しているらしい。国公立大学へ入学させたい親が、日々中庭で闘技場よろしく生身の肉体バトルが繰り広げられているなんて知ったら即引き返すだろう。僕は人間味があっていいなと思うわけだが。 「ハヤトはさ、将来何になりたいの」  僕は友人から、教師から、そう尋ねられることが多い。なんでも僕は全国でも上位10番に入るほど頭が良くて、大学も選び放題らしいのだ。  だが僕は高校在学中に食べられるだろう。あの人は僕を逃さない。だから将来の夢なんて、考えたところで仕方ない。  大学進学校へと歩を進めるこの高校で、数少ないヤンキー達は居場所を訴えているようにも見えた。昔はそこそこ道の外れた生徒がいたのだろうが、最近は世間の敷いたレールをきちんと歩ける真面目さんが多く、彼らが服装を見出して廊下を歩くのを遠巻きに眺める人しかいない。彼らはきっと普通の人と同じように見てほしいのだ。怒られたい、構って欲しい。だが自分達がみんなの視線に入るには目立つしかない。目立つための方法は一つしかない。  まるで、幼い日の僕みたいだと、少し同情した。  今の僕はその対極、大人達に構われ、友人には恵まれ、日々期待の眼差しを向けられる。僕が何もしなくても、周りは僕を見るのだ。それが羨ましかったのだろう、彼らは僕を見るたび悪態をついた。わざとぶつかったこともあったし、バッグに切り込みを入れられたこともあった。  僕はそのことをカルラさんに言うと「学校休む?」と言ってくれた。どうやら彼は、僕にストレスが溜まるのは嫌らしい。だが僕は断った。彼らから目を背けることが出来ないのだ。  友人が教師に告げ口して彼らは厳しく注意されていた。  それでも嫌がらせは止まず、とうとう僕の友人ネットワーク対ヤンキーの戦いになりつつあった。友人達はどこへいくにもついて来たし、ヤンキー達が僕と会わないよう彼らの動向は身内のみ閲覧可能のSNSで共有されていた。スパイか? 僕はよく分からなかったが、僕の当たり前の日々は皆が守っているというのはわかった。  罪悪感が僕の心を引っ張っていた。やがて嫌がらせは止んだ。僕は小さく彼らに謝った。  高校でもっとも仲の良い子がいた。ショウゴという。彼は不真面目で面倒くさがりだが悪い奴じゃなかった。2人でゲームセンターにたくさん行ったし、カラオケもよくやった。  授業参観の日、ショウゴの親は来なかった。当人が親へ連絡しなかったらしい。理由は聞かなかった。  カルラさんは普通に来た。普段はジャージしか着ない上に今日もジャージで来ようとしていたので、僕は流石に嫌でスーツを買った。だからまあカルラさんはスーツで着たのだが、暑苦しかったのかなんなのか、ネクタイを緩めて上着を腕に抱えていた。  ところでカルラさんは見た目が良かった。高身長で足がスラリと長く、顔もまた整っていて無駄がない。教室に入る前からざわざわしていたが、入ってくるとわっと女子があからさまに話し始めた。僕は恥ずかしくて彼に関わりたくなかったが、一番後ろの席なので当然絡まれた。  授業が始まってからは彼もちょっかいをかけてこなかったが、ふと隣を見るとショウゴの顔色が真っ青だった。それから手で口を押さえたので、僕はすぐ先生を呼んで彼を保健室へ連れていくと伝えた。  カルラさんの前を通った。彼は笑っていた。 「あれ、お前の親?」 「え……兄だよ」 「何で?」 「え?」 「あれは、人間じゃない」  僕は目を見張った。  ショウゴの家は、よく分からないけど、人間じゃないものをこの世から消す仕事をしているらしい。しばらくして、ショウゴの家の人が彼を迎えにきた。 「お前を助ける」  それだけ言って彼は保健室を後にした。僕は教室へ戻ると、授業は終わっていた。カルラさんは教室の外で女生徒と話しつつ僕を待っていた。 「ご友人はどう?」 「うん……」  この人は確かに僕を食べようとしている。人間でないことは確かだろう。でも、助けるとはどういうことなのだろう。僕は被食者で、彼は僕を食する。この食物連鎖から解き放ってくれるということなのだろうか。  2人で電車に揺られて帰った。ふと、うなじに触れる。歯形はまだかすかに残っている。カルラさんは僕をじっと見つめていた。  翌日、ショウゴは学校に来なかった。僕は寂しさを感じながら1日を過ごした。そして家に帰るとーーカルラさんもいなかった。こんなことは初めてだった。  僕はすぐに家を出て駆け回った。学生服のままで、ただがむしゃらに走った。街の全てを見尽くしたがとうとう見つけられず、日が暮れて街灯が夜を照らしている。ローファーはボロボロだ。あの人がいなくなったら僕は生きる術がない、生きていく理由がないと思いながら走った。  そうだ、彼は僕の生きる理由だった。  時刻はきっと0時を回っている。塾帰りの学生達も姿を消していた。僕は公園のベンチに寄りかかって地面に膝をついた。あの人がいない。こんな喪失感は生まれて初めてだった。当たり前にいた人が。  あの人は僕を死なせないと言っていた。  でも今カルラさんはいない。  僕はベンチに突っ伏して彼の名前を呟いた。 「はい」  返事がベンチの向かいから聞こえてきた。僕が顔を上げると、同じく彼はベンチに突っ伏していた。ぼろぼろだ。 「あー気分悪い……あはは、頑張りすぎちゃった」  僕は起き上がって彼に抱きついた。暖かい、生きてる、生きてる! 「あは、心配してくれたの? 嬉しいなあ……」  彼もまた僕を抱きしめた。そして背中をさすりながら、2人で互いを確かめ合った。  その日は本当に心の底から安心して、2人でじっくり話していた。何が起きたのかは知らないが、彼は「教えるほどのことじゃない」と言っていた。それならば、と僕は聞かなかった。彼が言わないのなら、それでいい。  翌日から三日ほど学校を休んだ。ずっと彼のことを抱き締めていた。本当に怖かったのだ。  それから学校に赴いた。隣の席に花瓶がいけてあった。  ショウゴと彼の家族は、四日程前に殺されたらしい。  僕はその日カルラさんに尋ねた。カルラさんは知らないと言った。  知らない、と確かに言ったのだ。  僕はそれを、信じることにした。  それから半年後のある日、気まぐれで学校を休んだ。朝起きたら何だか行きたくなくなったのだ。カルラさんにそれを伝えると、親戚が亡くなったことにして休む連絡を入れてくれた。  うなじの歯形はまだ残っている。バイ菌は入らないようにした、とのことなので消毒液やガーゼ等はしていない。肉眼で見えない位置にあるので、写真で一度傷を見せてもらったがかなり生々しく痛々しかった。思わず目を逸らしてしまった。  かつて奴隷には体に番号が彫られていたのだというが、僕の歯形もきっと似たようなものだ。被食者の証だ。  八時をすぎた。いつもならとっくに家を出ている時間だが、僕は朝食をとってからずっと布団で横になっていた。カルラさんはしばらく洗い物をしていたが、終わると僕の布団に入り込んできた。 「はーい空けてね」 「やだよ」 「おやすみー」  目を閉じた。  彼はただの青年に見えた。しかし、彼は僕を食べる。   涼しい風がカーテンを揺らしている。ぽかぽかして、平和だ。平和のはずだ。  僕はあとニ年ちょっとで食べられる。      死にたくない、というのは人類共通の願いらしかった。皆生きたいのだ。  僕は違った。反抗期には確かに皆んなのようなことを願ったけれど、それもただ反抗したかっただけだった。  もう諦めればいいのに。  高校2年の夏、僕は学校に行かなくなった。何をするでもなく、2人でただ話をした。  僕はこの人さえいればいい。     「お腹すいた」  高校3年の夏、彼はしきりにそう言った。僕の誕生日は冬だ。 「ちょっとだけ食べていいかな」 「嫌だ」  18で食べられるとずっと思っていたのだ。今更変更はなしだ。  そうして誕生日になった。ショートケーキを一応もらった。プレゼントはなかった。そりゃそうだ。  食べ終わって、美味しかったと言った。彼は満足そうに微笑んだ。  そして。 「……最後に何か言い残したことは?」 「ない」 「ふふ、君らしい。麻酔をかけるから、痛みはない。ただ少しずつ眠くなっていく」  僕は頷いた。  麻酔とは注射で打つものだと思っていた。しかし彼は僕の目に手を当てて視界を奪った。数秒後、手が離れて僕は目を開く。頭がぼんやりと揺れているような気がした。  彼は僕の首に甘噛みした。角度を変えて何度も噛んで、感触を確かめているようだった。  僕は彼の名前を呼んだ。彼はそれに応えた。そこで全てが終わった。      
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