衝動と逃避

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衝動と逃避

それはもう、衝動だった。 この気持ちに、この行動に名前を付けるのなら、衝動の他に本当に何も無いくらい。 私は勢いだけで動いていた。 今思うと、よくそんなことしたなって笑ってしまう。それくらい、あの時の私は切羽詰まっていたのだ。 それは病院の帰り道のこと。 気付いたら私は、1人で駅前のカラオケに来ていた。今時1人カラオケは別に珍しいことではないらしく、店員は顔色ひとつ変えずに、何時間利用するのか、飲み物はどうするのかなど丁寧に聞いてくれる。 「2時間で。飲み物は烏龍茶」 私が最低限のことだけ小さく呟くと、店員は部屋番号を伝えながら、伝票を手渡してくる。何も悪いことはしていないのに、何だか急に恥ずかしい気分になって、足早に自分にあてがわれた部屋に滑り混んだ。1人で使うには明らかに広すぎる部屋の隅にちょこんと座って、大きく溜息をつく。天井にはキラキラと輝くミラーボールが吊り下がって、私の顔を無駄に照らしてくる。 「胃がんですね。初期の」 そんな風に医者に言われたのは、つい1時間程前のことだった。 正直、耳を疑った。 元気だけが取り柄の私が。 まさかそんな病気になるなんて思ってもみなかったからだ。 近頃、胃のあたりがムカムカして、何だか食欲が湧かなかった。 妹の紗和(さわ)は、何か悪いものでも食べたんじゃないかと笑っていた。私も食あたりか夏バテかと思っていた。 でもあまりにも長く続くものだから、念の為、病院に行って、生まれて初めて胃カメラを飲んだ。それが1週間前のことだ。 数日後、病院の看護師から、検査の結果を伝えたいからなるべく早く来院するようにと電話があった。今まであまり病院に行ったことが無かった私は、この電話に深い意味があったなんて、全く想像もしていなかった。 何の心の準備もしていなかった。 夏バテとか食あたりとか言われると思っていた。 だから医者が口にしたその病名に、私は驚き過ぎてしまったのだ。 「でも本当に初期だから。今取り除けば大丈夫だと思いますよ。心配しないで?ね?」 私があまりにも驚いた顔をしていたのか、医者は不安にならないように必死に慰めてくれた。 そこから病気の説明、今後の手術の説明、色々と説明されたけど、イマイチ頭に入って来なかった。
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