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挑戦とトキメキ
病気が分かってから、やることが本当に山積みだった。
まずは気が重いけど、両親に電話で報告をした。母は電話口で泣き出してしまい、最初に病気を伝えた時に紗和が泣いたことを思い出した。「死なないよね?」と、返ってくる言葉もほとんど同じで、紗和の慎重で堅実的でナイーブな性格は母譲りなんだと実感した。
会社に診断書を提出して、傷病休暇の手続きもした。私が受け持ってる仕事は、何人かの同僚に振り分けて引き継ぎをする。みんな口々に、大丈夫?とか頑張ってねという温かい言葉をくれたが、本心はどう思っているのか分からなかった。職場では淡々と働いていたので、とくに仲の良い人がいるわけではない。私は結局、入院するギリギリまで、変わらずに愛想笑いばかりして仕事をしていた。
その他にも保険の手続き、入院前の検査、必要な物を買い揃えたり、毎日めまぐるしく過ぎて行った。
しかしそんな毎日を過ごしていると、不思議と色々な言葉が溢れ出してきた。10年間曲を一切作っていなかったせいか、私の身体の中からは沢山の言葉やメロディーが次々とこぼれ落ちてくる。忙しい合間を縫っては、ノートに歌詞を綴って、ギターを掻き鳴らした。
「やっぱカラオケ動画はイマイチ伸びないか。お姉ちゃん、オリジナルソングだよ、オリジナルソングあげよ?」
紗和がそんな風に言ってきたのは、カラオケで撮った音源と紗和の描いてくれたイラストを合わせた動画をあげてから、1週間ほど経った頃だった。
彼女は私がアパートに泊まったあの日から、物凄い集中力で絵を描いてくれて、なんと5日後には私の歌のチャンネルを開設してくれたのだ。
チャンネルの名前はあれこれ話し合ったクセに結局「waka channel(わかちゃんねる)」と、私の名前を付けただけのシンプルなものになった。紗和いわく人気な歌い手ほど、チャンネル名はシンプルらしい。
その後私が病院の帰りに勢いで録音したカラオケを、紗和の描き下ろしたイラストと合わせた動画を作った。1週間でとりあえず3曲あげてみたが、紗和的には反応がイマイチらしい。
「お姉ちゃんだったら、絶対もっと再生数あげられると思うんだよなぁ」
「私は再生数よりも、世の中に発信出来てることが嬉しいな。本当にいい時代になったよね。昔は世の中に音楽発信するなら、レーベルに所属してCDデビューするとかしかなかったけど、今はプロでもアマでもほとんど同じ土俵で発信できるんだもんね」
私がしみじみとそう言うと、紗和はお姉ちゃんは欲が無いからなぁと、苦笑いした。
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