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00. 序幕
最初の異変は、不明瞭な喧騒だった。
ガタンゴトンという列車の振動音とは別に、ガヤガヤと何やら騒がしい。
座席にすわったまま、おもむろに顔をあげた。
ぼんやりと思案に浸っているあいだに少し眠っていたらしい。
クロスシートタイプの居心地のいい座席。その隣の窓際の席は、ポッカリと空いていた。
寝落ちする直前に誰かが座った気配を感じた気もするが、正直自信はない。まぁ些細なことだ。気のせいかもしれない、で済ませていいだろう。
それよりもと、まどろみ醒めきらない頭を通路側に傾ける。
伸びる通路の前方を見やって眉をひそめた。
喧騒はすぐ近くから……ではない。
少し遠いところから漏れ聞こえてくる。
前の車両だろうか。
次の瞬間、すんと腹の底が冷えた。
喧騒に混じり、不意に耳朶に届いたのは──幾重もの悲鳴。
瞠目し、弾かれたように立ち上がった。
何が起こっているのか、状況が分からない。
乗客の心情はみな同じようで、この車両にも不穏な空気が立ち込め始めた。
周囲の狼狽がさざ波のように連鎖していき、動揺がパニックに代わるのにそれほど時間はかからなかった。
とにかく、ただ事ではなさそうだ。
……とはいえ、どうしろというのだろう。
少し冷静になり、前の座席のヘッドレストに手を添えて考える。
別にこの車両で何かが起こっているわけではないのだから、いたずらに慌てるのも違う気がする。
車内で何か緊急事態が起こったのなら、じきに列車も止まるだろう。
きっと車内アナウンスも入る。
集団心理に惑わされて、変に騒ぎ立てても仕方がない。
進退の判断は、とりあえず保留にしよう。
そう言い聞かせ、ゆるゆると席に座り直した。
ちらりと窓の外を見やった。
車窓に、飛ぶように馳せゆく景色が映る。
車窓に映る蒼い海の煌めきを無感動に眺める一方で、とある切望が心に犇いていた。
面倒ごとは勘弁してほしいのだが。
その思いに呼応したわけではないだろうが、遠くて近い海がひときわ強くキラリと煌めき、一瞬目がくらんだ。
目をつぶると不定型の白い残像が居座っている。
憎たらしげなそれは、やがてすぐに霧散した。
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