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傾き始めた陽の下、年季の入った感じの濃茶色の縁側に二つの人影があった。
「……なんでそんなに不機嫌なんだ?」
「フキゲンじゃないもん」
眼光の鋭い青年が柱の影にもたれていた。
そのすぐ横で二つ結いの少女が縁側にちょこんとお山座りし、わずかに頬を膨らませていた。
玲弍は視線を下げ、ククリの横顔を見た。
少女の瞳はジッと緑鮮やかな外の景色のどこかを見つめている。
玲弐はその視線の先を追ってみたが、そこにあるのはなんの変哲もないただの茂みだった。
恐らく何か別のことを考えているのだろう。
昨日、どこからか帰ってきた後からずっとこんな様子だった。正確には、珍しく一海に嗜められた後からだったか。
小さく息をつく。めんどくせぇと内心思った。
チリンと、天井に吊るしていた風鈴が清涼な音を奏でた。
玲弐は天井を見上げると、風鈴から垂れ下がった短冊がクルクル回っていた。
山奥の古風な家屋には、少しばかり浮いて見えるデザインのように映る。
そのまま意味なく緩慢に視線を巡らす。
床や柱、天井はかなり年季が入っている。
仮暮らしとは言え、海に属する者たちの住処とは思えない。煌びやかな竜ノ宮とは雲泥の差だ。
おまけにこんな辺鄙な山奥に佇んでいるときた。
幸いにして海が近いのが唯一の救いだが、それにしでも佇まいも場所もどうにかならなかったのか。
とはいえ贅沢も言えない。
どこで繋がっているのか知らないが、昔からの陸の伝、親切な非営利法人に住む場所を提供してもらっている経緯もある。そのおかげで何とかなっているのも事実なのだが、玲弐としては体よく追いやられたような気がしてならない。
戸籍を取るか勧められたが、それはさすがに辞退した。元より長く住むつもりもない。
無闇に陸の支援を受けるのも抵抗があった。
まぁこれも、母さんのお膳立て、か。
仔細を考えても仕方がない。
「ふて腐れてんのか? お前」
しばらくして玲弐が訊くと、「違うもん」と口を膝に埋めたままククリは言った。
「負けたんだろ」
玲弐の言葉にククリは目を細めて、無言でさらに顔を埋めた。
その彼女の頬には大きめの絆創膏が貼っている。
襲撃があったと訊いた。その襲撃は、妙な異能を繰る男だったと聞いている。
ただその攻防自体は痛み分けに終わったらしく、彼女の頬の怪我とは全く無関係らしい。
直接的には、身内であるミクサに手痛い仕打ちを食らったとか何とか。それで、機嫌損ねたククリがミクサとぶつかり、返り討ちとなった。
要は、姉妹喧嘩で負けたのだ。
ミクサに喧嘩をふっかけるとは。ククリにしては感情的な行動にいくぶん驚いてはいる。
「どうして会ったらダメなの?」
ポツリとククリが言った。
「ああ? 誰に?」
「アオイお兄ちゃんに」
「会ってどうするんだ」
「謝らなきゃ」
「謝る?それだけか?」
ククリはしばらく押し黙っていたが、
「……わかんない」とだけ答えた。
例の〈鶴〉に会ってはダメだと、直接そう言ったのは一海だった。
正直なところ、玲弐は竜ノ宮の均衡を崩しうる〈鶴〉の存在を疎んでいた。
寵愛を受けた彼らは移ろいやすい。
こんな山の中に逃避している理由は、その割りを食っているからに他ならない。
今はどうにか小康を保っているものの、これ以上掻き乱されて状況が悪化、陸に殉じる羽目になる、なんて真っ平ゴメンだ。
そんな率直な考えを改める気はない。
ただまずかったのは、それを安易にククリに訊かせてしまったことだろう。
『だったら〈鶴〉がいなければいいんだよね?』
『あー? そんな簡単に解決すれば訳ない……って、おいククリ?』
気づけばククリは消えていた。数日前の話だ。
あろうことか彼女は一海に〈鶴〉の居場所を訊いてまで、暗殺に身を投じたのだ。まっすぐすぎるにも程がある。
正直あとで知った時にはマジかと思ったし、十番──トールが絡むほど大事になるとは考えてもみなかった。
とはいえ、はたから見れば自分がククリを唆したと思われても弁解のしようがなく、ささやかな非難を受けることになったのも、仕方がないと言えるのだろう。
やれやれと玲弐は嘆息し、頼りない柱にもたれて目をつぶった。
ふいに脳裏によぎるものがあった。
そういえばと、まぶたの裏に浮かんだ黄昏の中、見下ろす視線のさきに、苦々しげな顔の青年の姿があった。
何かかすかな脈動が頭の端をつつく。
「ん?」
思わず当てがった手は、ただ髪に触れただけだ。夏の虫のいたずらなどではない。
大したことはない。あれはたまたま標的にされた、とことん運のない〈鶴〉だった。ただそれだけだ。
それ以上の感想は出てこないが、色々と裏で起こっていたのだろうということは想像に難くない。
今回の騒動は変にまっすぐなククリ自身の暴走、ということに落ち着いていた。
ただ一海には安易に〈鶴〉の居場所を教えてしまった負い目もあるのだろう。
一海にしては珍しく、断固とした口調で〈鶴〉との邂逅を制止していた。
玲弐は目を開き、じっと座り込む少女に視線を落とした。
しばらくは、あまり自由にできないんだろうな、こいつは。
そう考えると、少しばかりククリが不憫な気がしないでもない。
「ククリ」と玲弐は呼んだ。
「陸に魅せられるな。引き揚げられるぞ」
最後にそれだけ言ってククリを諌めた。
今回の件に関する小言は、これで仕舞いにしようと思った。
「わかってる、もん」と、ククリは視線を合わさず小さく言った。
不意にパシャリと音がした。小気味よく、どこか機械的なそれ。
音がした方向を見やると、そこには腰の曲がった白髪の老婆が佇んでいた。
床に着くほど長い髪を三つ編みに括って床に垂らしている。
「ナナセ婆や?」とククリが目を丸くした。
大きな眼鏡をかけた老婆は、構えていたカメラを下ろすと柔らかく笑った。
皺の刻まれた顔に愛嬌のある笑みが広がる。
「ククリちゃんや」
ナナセと呼ばれた老婆は、しわがれたゆっくりとした声で呼びかけた。
「自分の気持ちに素直になるんよ」
ククリはきょとんした顔をした。
玲弐は内心ため息をついた。
現在、身内のなかで最も歳がいっているのが彼女だった。ご高齢になっても地獄耳は健全らしい。
「ぶっ飛ばせるくらい、強くなりんしゃい」
老婆は出し抜けに攻撃的なことを宣った。
おそらくミクサのことを言っているのだろう。
一人満足げに頷く彼女に、玲弐は思わず白目を剥きそうになった。
「……おい婆や。折角落ち着きそうだったんだが。余計なことを焚きつけるなよ」
「おや、それはごめんなさいねぇ」
ナナセは緩慢な口調で目元をゆるめて謝った。
ククリも何かと扱いづらいが、この老婆も老婆でマイペースながら芯が強いのを玲弐は知っていた。
「ちょっと、ナナ!」
その背後から一海がついてきた。
「お願いだから、あまり勝手に出歩かないでよ」
「おやおや。気をつけるわぁ」
ゆっくり振り返って頬に手を当てた老女は、一海に連れられて部屋に戻っていった。
玲弐とククリは無言で二人の姿を見送った。
「ねぇ、レージお兄ちゃん」
二人の姿が見えなくなり、ふとククリに呼びかけられた。
「どーした?」と玲弐はおざなりに訊いた。
「ミクサお姉ちゃん、ぶっ飛ばせるくらい強くなるには、どうしたらいいのかな」
ククリは顔をあげ、上目遣いでこちらを見上げていた。
ほら言わんこっちゃない、と玲弐は髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
陸で余計な抗争をするなよと言いたい。やるなら海でやれよと。
そう言ってやってもよかったのだが。
「……知らん」
結局玲弐は聞かなかったことにした。
無視だ無視。
玲弐はククリから視線を逸らして、わざとらしく庭の樹々に視線を背けた。
そんな玲弐を揶揄うかのように、蝉がジジジと飛び出し、どこか遠くの空に飛んでいった。
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