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「……ラッセー」
こんなにやる気のないいらっしゃいませも、そうそうないだろう、と自分でも思う。
立野は、終始絶え間なく目の前を横切リ、通りすぎていく地域住民たちを尻目に、内心で盛大なため息をついた。
時折、ガヤガヤとした喧騒が耳に障る。
商店街の中ほどで、かれこれ三時間ほど立ちっぱなし。少し足の重心をずらした。歩かずに立ちっぱなしと言うのが地味に辛いものだというのは、正直初めて思い知った。
着なれない商店街のパリッパリのハッピも勝手が悪い。衣装の胸元当たりをつまんで思う。色合いが派手すぎる。絶妙にダサいし。
「ちょっとお兄さん」
声に視線をあげると、目の前に化粧の濃いおばさんがいた。
しまったな。かなり致命的な余所見をしていたらしい。注意力散漫すぎる。
「……ラッセー」
もはや幾度と繰り返したやる気のない挨拶を口にする。
「これ福引、何枚引けるかしら?」
おばさんは財布から福引補助券を引っ掴み、どちゃりと大量に目の前にぶち撒けてくれた。
立野はゲンナリとした。
知るか、とにべなく断るわけにもいかない。
「えー……、ちょっと待ってくださいね」
あちこち曲がった抽選補助券のかき集め、記載されたポイントのみを黙々と加算していく。
「お兄さん、なかなかいい身体してるじゃないの。なに? そっち系の方?」
「さぁ、どうでしょうね」
なんだ、そっち系って。分かんねぇよ。
「あら。ダメよ、もっと愛想よくしなきゃ。でも、そんなニヒルな感じ、おばちゃん好きよ?」
「それはどうも」
計算が狂うから、話しかけないでくれ。
集計中もおばさんはどうでもいい話を垂れ流していた。
その後、おばさんは十回くらいガラぽんを回したが、結果は全て白玉。つまり全てハズレ。
手に持ちきれないくらいのポケットティッシュをバックに突っ込み、おばさんは少しばかりプリプリした様子でどこかに去っていった。
全く、とんだ仕事を請け負ったものだと、ほとほと参りそうになる。
今の仕事──商店街の抽選会の補助員──だけを言っているのではない。
そもそも本来、立野の本職はとても誉められたものではない。
言ってしまえば裏の仕事。裏の顔を持つ様々なクライアントに雇われてこなす汚れ仕事。
そんな仕事において、人を手にかけることも少なくない。
直近の暗殺依頼はその最たるものだった。あれは、今のこれ以上に気乗りがしないものであった。
結局は失敗に終わり、弟分も運悪くターゲットの一人の手にかかり死んだが、これも仕事だと割り切るしかない。
仕事に私情は持ち込んではいけないと、強く言い聞かせる。非情になれ、と。
そして、そんな非情な仕事の直後に、何故こんな退屈な仕事をしているのかというと、……正直自分でもよく分かっていない。
今のクライアントの異様さには前々から辟易していた。二度も失敗したこともあって、首を切られるかもなと思っていたが、蓋を開けてみればこれだ。
昨日の今日だぞ? と内心ため息をつく。
ついに、クライアントの頭がおかしくなったかと思った。それとも単なる嫌がらせか。どちらにせよ食えない依頼主であることは間違いない。
とはいえ、仕事は仕事だ。
気が乗らないとはいえ、これくらいこなせないとマズイだろう。
もう少し真面目にやるか。どうやってもやる気が出ないのはもはや致し方ない。
気合いで乗り切れと、そんな言葉が空回りする。根性論をかざすような性質でもないのだから。
ガラぽんが吐き出す何度目か分からない白い玉が転がるのを見て、ただひたすら粗品の渡していくだけの作業を続ける。
それにしても、と立野は思う。
この福引の倍率、一体どうなってるんだ、と。
立野は人目を盗んで、かたわらにある景品一覧のボードを見やった。
一応、一位から三位までは賞があると聞いているのだが、いまだに残念賞以外見ていないのはどうしてなのか。
実はこいつもなかなか闇が深いのかもしれない。
「すみませーん」と声をかけられた。
目の前にピンクアッシュのポニーテールが特徴的な少女が佇んでいた。
立野は、ピクリと腕が反応しそうになったのを、危うく抑えた。
「……らっしゃい。お嬢ちゃん」
立野は表情を取り繕って、少女から渡された抽選券を受け取った。
見たことがある顔だった。少しも邪気も感じられない、純粋な瞳に見つめられる。
「えっと、何回分ですか?」と、空いた間を埋めるように少女は訊き、小首を傾げた。
「え、あー」立野はざっと抽選券を流し見して、「二回」と答えた。
「回していいですか?」
「どうぞ」
そう言うと、少女はおもむろにガラぽんの取っ手を掴んだ。
偶然、なのだろうか。
立野は少女の所作を観察しながら思う。少し前までターゲットだった少女が目の前にいる。
彼女は当初、列車で始末する手筈だった。
自らの気を展開して、人目を憚る閉鎖された空間に誘き寄せる予定だった。
それだというのに、気づいたら途中駅で下車されていた。
代わりに九番と鉢合わせし、弟分は惨殺された。
挙げ句の果てに、遁走という辛酸を舐める羽目になった。
海ノ宮浜での再戦を鑑みるに、本気で応戦すれば辛勝はできたかもしれないが、列車なんていう証拠が残りやすい状況下で、下手なことをして足がついても困る。それで後塵を拝することになった。
少女に何か悟られたかと身構えていたが、こちらに敵意を向けてくる様子などは皆目見られない。
ただの学生だ。歯牙にかけるほどでもない。少しだけ安心する。
今の仕事は平和的だ。ただの粗品渡し係だ。
そのまま見逃しても構いやしない。
退屈とも思った仕事だが、たまには気楽でいいのかもしれない。
いつの間にか無意識に、ポケットティッシュを手繰り寄せていた。
──コロリンと、ガラぽんが見慣れない色の玉を吐き出した。
もう一周する間に、再びコロリンと。同じ色合いの玉が仲良く並ぶ。
はて、赤色の玉? 何等だったけか。……二個?
立野は思わず二度見した。
「あー」少女が気まずげに景品ボードを見やった。
「わー、二等。旅館の宿泊チケットかぁ」
その視線が、こちらに降りてくる。「おじさん。えっと、当たっちゃった?」
後ろの列に並んでいた人々がどよめいた。
「えーっとぉ?」間延びした声が漏れる。
真っ赤なクロスが引かれたテーブルの上を視線が滑る。
カランカランと。
当たりを知らせるハンドベル、……どこ行った?
──その後、数えるほどの当たりを経て、勤務の時間は終了となった。
立野は商店外の路地裏の壁に背を預けていた。
あたりに人の気配はない。
懐からスマホを取り出し、登録されたとある電話番号にコールする。
「……どういうことだ?」
立野は指先にタバコの紫煙をくゆらせ、クライアントに電話をかけていた。
「あれ、ただの福引の補助員じゃないな?」
『そんなの、当たり前だろう?』
電話越しに馬鹿にするような声が響いてきた。
その声は若いのか、それとも老いているのかよく分からない。唯一分かるのは、年齢不詳の男性の声ということだけだ。
『仕掛けだ。次の布石、役者を集めるためのな』
立野は控えめに鼻を鳴らした。知らないうちに、陰謀の一端を担わされていたらしい。
どんな都合のいい仕掛けだよ。
公共の催しながら、ピンポイントでターゲットを集めるなんて。
「どおりで。クソみたいな倍率の福引で、どうして連チャンするんだよ。おかしいと思ったぜ」
立野はおもむろにタバコを吸うと、ふーっと肺の空気を吐きだした。
『……あれは、運の担い手だからな』
ポツリと電話ごしにクライアントがつぶやいた。意味深な言葉に思わず眉をひそめる。
「はぁ? 運の担い手?」
立野はおうむ返しをした。「なんの話だ?」
いつからだろう、このクライアントに対してタメ口を聞くようになったのは。
相手も全く気にしていないらしいが。
『そうだ。甘く考えるなよ。あれが本気になればとんでもない脅威になる。幸い、制約や反動がでかいから、安易に手も出してこんとは思うがな』
クライアントは淡々と続ける。
何だか話をすげ替えられた気もするが、気のせいだろうか。
『純粋な力技ではない。厄介なのは、感知が極めて困難な異能。だから十番と六番は真っ先に排除しておきたいのだ』
「はぁ、なるほどな」
相槌に苛立ちが混じる。
そんな大事なこと先に言えよと、そこまでの暴言は流石に出なかった。
『呼び水は六番だ』
低い声を維持してクライアントは続ける。
『あれへの呪いは、まだ解けていないからな。奴自身、それに対して疑問も持っていないだろう。せいぜいこちらが利用できるうちに利用させてもらう』
立野は口の端を歪めた。
このクライアントは、やたらと裏の事情に手に染めているらしい。仔細など知りたくもないが。
そういえば、例の列車に呼び寄せたのにも、妙な呪いを使ったとか言っていたか。今となっては過ぎたことでどうでもいいことだが、どこでそんな怪しい術を拾ってくるのか。きっと訊いても教えてはくれないのだろう。
とにかく、だ。
このお遊びが実は次への布石だった、というのは分かった。
回りくどいのがもう少しどうにかならないか、という苦言は心の中にだけ秘めておく。
「で? 次はどこにいけばいいんだ?」
立野は空を仰いだ。細い紫煙が、薄暗い路地裏の壁を這うようにユラユラと立ち昇っていく。
「なぁ、ウラシマさんよ」
立野は電話の向こうの依頼主に呼びかけた。
『分からないか? 舞台の名前くらい、察しがつくと思うがな』
「なるほど、な」
脳裏にとある宿泊地が浮かぶ。
話の流れからして、まぁ妥当なところか。
「次の舞台は、山瑚荘ということか」
立野は目をつぶった。
また洒落た名前の旅館を選んだものだ。
『薄々分かっているとは思うが、次はないからな』
不意に耳に刺さる忠告。雇われた側は辛い。
「……了解」と一言返した。
『お前は最後でいいからな』
文脈の意図が読めず、立野は眉をひそめた。
「? それは、よく分からんが。なんだ、他にも誰か応援が入るのか?」
『追って連絡する』
おい、と思っていたらプツンと電話が切られた。
舌打ちを一つ、こちらも通話を終了する。
唐突すぎるんだよ。せっかちか。
途端に憂鬱な気分がぶり返す。
立野はスマホをポケットに滑らせ、再びタバコを吸おうとしたが、ふと自分の手の平を見おろした。
一瞬、その手が赤黒く染まったような気がした。かぶりを振り、短くなったタバコをかじるようにしてくわえる。
立野はそのまま路地裏から出た。
街の喧騒にまぎれ、すぐさまその姿を消した。
様々な思惑、様々な謎を持ち越して、舞台は次のステージへ移ろう──。
- 第一章 完 -
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