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「……」
いたたまれなくなって蒼伊は席を立った。
何か言ってくるかと思ったが、特に反応はない。
少女は何も言わずに見送ってくれるらしい。
そのまま同じ車両の前方の席に移動する。
ガラガラの車内。お粗末な乗客率だ。
多く見積もっても人は二割も乗っていない。
まだ夏休み前だ。片田舎の休日の列車事情など、こんなものなのかもしれない。
そんなわけで何処でも自由に座ることができる。
指定席を取るのがアホらしくなるくらい、自由席でも全く差し支えない。
それだというのに、……何であの子はこの空席の多い車内で、わざわざ隣に座っていたのだろう。
最初はいなかったはずだ。
うたた寝している間に入り込んできた?
だとしたら、なおさら行動心理が理解できない。
そんなことを思いつつ、窓際の席に移動した。
先ほどとは反対側の席になるため、窓から見えるのは田畑と民家ばかりだが。
流れる景色をしばらくぼんやり眺めていると、前方の扉が開き、柔らかい女性の声が聞こえてきた。
「冷たいアイスコーヒー、アイスクリーム、お土産に地域の銘菓は、いかがでしょうか」
車内販売特有のゆっくりと耳に染み入る声。
制服を着た女性が、ワゴンを押しながらこちらに向かってきていた。
もう一度うたた寝する気分にはなれなかった。
眠気覚ましにアイスコーヒーでも貰おうと思った。
「すみません」と、駅員の女性に一声かけた。
懐から、使い古した折りたたみ財布を取り出す。
少しだけ列車が揺れた。
あれ……?
ぐにゃりと、視界が引き延ばされるような感覚がした。
突然の目眩に、側頭部のあたりに手を添えた。
ぐわんぐわんと、脈打つ振動がかすかに指先に伝わってくる。
目眩はすぐに治まった。
手を離すと、金属的な音が足元で響いた。
見下ろす。蒼伊は足元の惨状を見て、ゲンナリと顔をしかめた。
……不覚にも財布を落としてしまった。
しかも床に叩きつけられた拍子に、中身を盛大にぶち撒けてしまったようで、あたりに小銭が散乱している。
クルクルと足元で回っていた一円玉が、パタリと倒れた。
「あー。……すみません」
今度は謝罪の意を込めて女性を見やれば、彼女はかすかに戸惑っている表情を浮かべていた。
しかしすぐに取り繕い「いえ、大丈夫ですか?」と柔らかく笑う。
「はい。ええと、お構いなく」
蒼伊は見えている範囲で落ちている小銭を素早くかき集め、アイスコーヒーを注文した。
少しだけ間ができる。
女性が準備している間、蒼伊は財布の腹を指先で無意味に撫でつつ、内心でため息をついた。
しまったな。
あとで飛び散った小銭、回収しないと。
しかし座っているのに突然の目眩とは。
日頃の不摂生が祟っているのかもしれない。
もう少し栄養価のあるものを取らないと、またあいつに余計な心配をかけるかもしれないな──。
ちょっとしたハプニングを経て、無事アイスコーヒーを受け取った。
一言お礼を添え、業務的な笑顔の女性を見送る。
ふと、女性の押すワゴンに積まれていたお土産に目が留まった。
海亀まんじゅう、と書かれた青い包装紙。
海の背景にポップな海亀のイラストが書かれたそれは、蒼伊の住む海ノ宮町の銘菓だった。
海に面するこのあたりには、どこのお土産屋にも置いている印象がある。
それで思い出した。
水平思考ゲーム。──ウミガメ。
ああ。そういえばそんなものがあったな、と。
スマホを取り上げて、ブラウザを立ち上げる。
検索フォームにウミガメと入力すると、検索候補に目的のものが挙がってきた。
『ウミガメのスープ』。
検索候補をクリックし、上位に出て来たリンクをクリックする。
代表的な水平思考ゲーム、と説明があった。
問題形式は先ほど少女が言った通り、回答者が出題者に対して、イエス・ノーで答えられる質問を繰り返し、不可解な問題の真相を解き明かしていくというもの。
肝心の問題は、そのすぐ下に記載されていた。
—
ある男が、とある海の見えるレストランで『ウミガメのスープ』を注文した。
スープを一口飲んだ男は、それが本物の『ウミガメのスープ』であることを確認し、勘定を済ませて帰宅した後に、自殺した。
一体、なぜ?
—
つらつらと書かれた問題を見て、蒼伊は窓の縁に頬杖をつき、車窓の外を見やった。
いつだったか。
小さい頃、この問題を聞いた覚えがあった。
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