2.回想

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2.回想

小学生の頃から知っている大地に想いを告げようとしたことは一回ある。 でもそれは想いを告げようとしたと言うほどのものでも無かった。ただ単にいつもより息を潜めて大地の出方を窺った、ただそれだけのことだった。 中三の受験前のほんの短い間、私は大地の兄、空に告白して学校の行き帰りを一緒にしてもらった。付き合ったとはいえないほどの淡い思い出だ。でもこのことが一生ついて回っている気がする、こと大地に関しては。彼の頭の中では、私はいつでも自分の兄に告白した近所の女子、という設定になっていそうだ。その後も空とは同じ青南で高校生活を送っていたけれど、部活以外特に接点もなく、ただ医者仲間である親族たちの年始回りで顔を合わせる程度だった。大地とは、高二の夏祭りで偶然それぞれの友だちが来るのを待っていた時に出会い、(彼にとっては単なる暇つぶしだったろうけど)二人で屋台を回った。その時、あまりにも可愛い鈴を見つけて声を上げた私に、既に紳士の片鱗を見せていた彼はさっさと支払いを済ませて、手の上にそっとそれを載せてくれた。その時、多分その時、私は恋に落ちたのだと思う。たったそれだけのことで。おまけに兄弟を順番に好きになるなんて。どれだけ滑稽なのだろう。 その想いを抱いたまま、父親の影響で早くからJ大医学部に進むと考えていた私はそのまま受験し、空と上郡家の祖父母のことを大好きな大地が三人と同じJ大に入学してくれることを望みながら大学生活を過ごしていた。更に姑息な私はバレー部にも入部して、そこでも大地を待っていた。予測通り、大地はJ大医学部に合格しバレー部にも入部してきた。兄を大好きな彼らしい選択で、でも誤算はここで生じた。誤算というよりは、元々勇気もないくせに高望みと姑息さだけでそばにいられることを勝ち取った私には当然の結果だと言える。 ある日の部内対抗試合に妹のやまねが応援に来てくれた。元々家族ぐるみで親交があったから、大地も幼い頃から当然同い年のやまねのことを知っていたのだけれど、大学に入って一気に花開いたように美しくなった彼女に、大地はその試合の後で交際を申し込んでいた。大地につき合おうと言われて断る女子なんて一人もいない(今日までそう信じていた)。やまねはその大きな瞳をさらに大きくして、 「あの大地がね、なんと私とデートしたいんだって。お姉ちゃん、信じられる?だってあの大地だよ?」 と早速報告してきた。自分がその時何と返事をしたのかさっぱり思い出せない。ただあの時のやまねの頬が紅潮した綺麗な顔は鮮明に覚えている。明るくて親切で陽気なやまね。その彼女に美しさが加わったのだから、それは無敵だった。二人は本当に仲が良く、見ている私まで思わず微笑んでしまうようなカップルだった。そのやまねが就職して三年目で社内留学に出た時、大地は研修医一年目で自由になる時間なんてほとんどなかった。それでも何とか遠距離を続けていた二人だったけれど、しばらくして別れてしまった。国際電話で泣きそうな声を出すやまねに、何とか思いとどまるように説得したけれど、何故だかやまねはひどく頑なに「無理」とだけ繰り返して電話は終わった。珍しく疲労困憊している(てい)の大地を食堂近くで見つけて声をかければ、 「やまねが無理って言うんだったらそうなんですよ。俺も何度も説得したんですけど。」 とだけ言われて、礼をして去るその痩せた背の高い後ろ姿を見送るしか出来なかった。 その後研修医二年目の後半、大地は消化器内科を志望した。後期研修医の最終年であった私は病棟で大地と改めて会い、やまねのことを思いながらも少しずつ毎日を嬉しく過ごすようになって行った。それから私たちは、互いの兄妹のことで色々あったにもかかわらず、むしろだからなのか、礼儀正しく、でもただの同僚というには少しだけ近い距離を保ちながら過ごしてきた。大地は当たり前のように人気があり、当たり前のようにつき合ったり別れたりを繰り替えしていた。最初の頃はその度に胸が痛んだけれど、あまりにも年月が経ち、そのうち「姉」でいられさえすれば良いと思うようになっていった。いやそう思うように意志の力で捻じ曲げてきた。
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