3.出会いと別れ

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「結婚とか、するんですか?」 病棟ですれ違いざまに問いかけられた。驚いて見上げると(視線の高さはやっぱりぴったりと合ってしまう)、熱を持っているようにも見えるし単なる世間話のようにも見える瞳で、大地がこちらを見下ろしていた。 「…する、でしょうよ、そりゃ。」 動揺を隠して、わざと何でもない事のように答えた。何て返事をするの?何か言ってくれるかな?少しでも気にする素振りとか見せてくれるのかな?そうしたら私は… 息を潜めて大地の顔を見つめていた。とうてい「姉」ではない熱量で。でも聞こえてきた言葉は、 「へえ。」 それだけだった。その平坦さのまま大地はあっさりと通り過ぎた。へえ?へえって何?何でもあるはずないか。たったそれだけのことなのに、思春期のように反応していることに我ながら苦笑する。 苦笑しながら歩き出そうとしたら、もう結構遠くから、 「おめでとうございます。」 ときちんとした声が聞こえて来て、慌てて振り返った。ずっと見てきた明るい笑顔で祝福されていた。顔が歪みそうになるのを必死でこらえて、 「お先に失礼しちゃうね。」 とだけ絞り出した。笑顔だったはずだ。ようやく廊下を歩き出して指で触れてみたら、ちゃんと頬が上がっていたから。どれだけその笑顔を張りつかせていたのか。ステーションに戻るとナースたちから、 「やっぱり小笠原先生、嬉しそう。幸せがダダ漏れですもん。」 と言われ、会釈だけしてPCを立ち上げた。並みいるナースたちの観察眼にパスしたことにホッとして椅子に背を預ける。頭の中にはたった二文字だけが響いている。 ―へえ― 結局その程度だった。何年経っても何も変わらない。だから決意した。何かを変えて先に進むように。私を求めてくれる人と歩む人生を。私が求める人とではなく。それがどれほど他人を傷つけ自分もズタズタになるか、その時の私は知らなかった。もしかしたら知っていたのかもしれないけれど封印したのかもしれない。或は、出来る、と思ったのかも。意志の力で、勤勉に努力して、そうすれば。医師になると決めた時のように、男性社会であるこの世界で、キャリアを積もうと決心した時のように。人の気持ちも努力次第だと。 「もう君の頑張りを見せられるのはしんどい。」 温厚だった人が疲弊したような表情で吐き出して、わずか二年足らずで結婚生活は終わった。 「頑張って好きになってもらうのは堪える。無理をさせたのは申し訳無かった。でも、もう自由にさせてくれないか。君も自由になったらいい。」 紳士らしい夫の紳士らしい言葉で締めくくられた私の結婚生活。まだ頑張れる、頑張らせて欲しいと口をついて出た言葉に力なく首を振られた。夫の言葉を裏書きしていたことに気付きもしないで。最後までずれていた私だった。 「そう、か…大丈夫か?」 医師同士の結婚の立会人をお願いした上司に報告した。申し訳ない思いで俯いていた私を逆に気遣ってくれた。 「はい。努力が足らず申し訳ありませんでした。」 「いや、結婚っていうのは努力すれば何とかなるってもんじゃないからなあ。まあ、そういう相性だったんだろう。」 苦笑された。 「無理せず、しばらくは出来る範囲で仕事したら良い。」 過分な言葉をかえけられ、ひたすら恐縮して退室した。したところに大地が立っていたから、思わず声を上げてしまった。 「ひっ。」 「ひって何ですか?僕は部長に呼ばれて待ってたんですけど?」 軽く笑われている。明るく綺麗な笑顔で。 「そうなんだ。ごめん、お待たせ。」 「いや別に。それより先生は大丈夫ですか?」 問われてまた驚く。私の離婚は今部長に告げたのが初めてで、まだ院内では誰も知らないはずだ。私があまりにも驚いた顔をしていたのか、 「へ?いや、先生が部長に呼び出しくらうなんて無いですから。でしょ?僕なんかと違って。」 と顔を至近距離で見下ろされた。 「ち、近いって。」 「あー、すみません。先生にはどうしても幼馴染のノリになっちゃって。」 わざとらしく「先生」を連呼する。部長室の前だからだろう。普段は「さつきセンセ」となめたような呼び方をするくせに。 「幼馴染って。」 「んじゃあ、高校?それとも大学の同窓生?」 「何年経ってると思ってるの。」 ちょっと上目遣いで天井を睨んでいる。 「なに、どうしたの?」 「うわ、マジ、高校時代からとして20年とかですか?」 「今頃?」 「今頃。」 お互い吹き出したところで、内側からドアが開いた。 「おい上郡、何年待たせんだ?」 既にどやされている。でも大地は動じない、大抵。 「すみませんっ。」 またしても明るく謝り、おいおいと言う部長の背中を押してドアを閉めた。今、部長を押し込んだか?なんでこう無礼だったりもするのに、そう感じさせないんだろう。大地は昔っから変わっちゃいない。上にも下にも男にも女にも好かれる。
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