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「望海、これどうかな」
凌雅が見ていたタブレットを私に差し出してきた。
画面に映っていたのは江戸切子のオールドグラスだった。
所謂シンプルな切子模様ではなく流れるような曲線をつかった大胆なカットデザイン、綺麗なクリスタル地にブラックのグラスだ。
見たこともないほど美しい。写真でこれなら本物はどんなにすごいのだろう。
「デザインが斬新ですごく綺麗だけど、これが?」
「ペアで使おうかと思って。望海はフランスの有名なブランドのグラスよりもこういうのが好きだろう」
あれ?私そんなこと言ったことあったかな。
確かにその通りなんだけど。
「2年くらい前、たまたま行った創作和食の店でちょっと微笑みながら切子のグラスをじっと見つめてるかわいい子がいるなと印象に残ってたんだ。そっちはおそらく合コンだったのに合コンそっちのけで切子のグラスに夢中になってた。それがまさか森山と一緒に行ったバーで再会するとは思わなかったよ。しかも同じ会社の人間だったとは。ーーーだから望海をスパイだと疑うのはきつかった」
え?え?え?
2年前???
創作和食の店で合コン・・・と言って思い出すものは。
「よく覚えてないけど、それ合コンじゃなくて食事をしていただけだと思うよ。私の仲がよかった同期のナースが同じ同期の放射線技師と結婚することになったからそのお祝いで集合したのがそんな時期だったと思う」
「そうか。同年代の男女が同数でいたからてっきり合コンだと思った」
「そういえば、途中から私の知らないドクターの話で盛り上がってたから聞いてるふりしてお酒飲んでた気がする。それまで切子のグラスって興味なかったけど、よく見たら素敵だなーって。あのお店で出してるグラスのほとんどが江戸切子だったよね。色も柄も違ってて新鮮だった」
よくそんなこと覚えていたね、と言うと凌雅の耳がちょっとだけ赤くなる。
「それだけ印象的だったんだ。ーーそれが今は自分の妻だなんて不思議な感じだな」
「ホントにそーだねぇ-」
持っていたタブレットをテーブルの上に置いてこてんと凌雅の肩に頭を預ける。
「まさか私があのシークレットさんと結婚するとは」
小池さんの失態に怒鳴り込んできた凌雅を思い出して苦笑する。
あの頃、スパイだと疑いながら私のことをかわいいと思ってたのかな。
それからいろいろあったから改めては聞かないけど。
「このグラス、とっても素敵だけど、ペアでは買わないで」
「?買うならペアだろ?」
「ペアで買って割れたらショックだから。気をつけていても割れ物って割れちゃうじゃない。そしたらショックだから。買い直そうとしてももう売ってなかったりしたら1個だけ残っちゃうでしょ。だからペアの何かは欲しいけど、割れ物でペアは1つ残ると悲しくなっちゃうからーーー」
私の言いたいことがわかったらしく凌雅が私の額に優しくキスを落とす。
「じゃあ同じやつじゃなくて柄違いを幾つか買ってその時の気分で使うことにしよう」
「え、でもこれかなりお高いけど・・・」
私が想像する値段より3倍以上な気がする。それを幾つかってーーー。
「いいだろ。割れることを心配しないで気持ちよく使いたいじゃないか。それなりの稼ぎもあるし、これも俺の愛だと思って、さ」
「そんなこと言って、新居を決めるときだってウエディングドレスを選ぶときだって家具を決めるときだって、全部そう言ってるんじゃない」
「愛だよ、全部、愛」
凌雅が笑いながら私の髪、額、鼻先、頬とキスをして最後に唇に軽くキスをする。
「もうっ。あんまり初めから甘やかすと後で泣くのは凌雅だよ」
私もキスのお返しをしてやると「望むところ」と更にお返しのキスをされる。
もう、どれだけ懐が広いんだか。
それに甘えすぎないように、私も精神的に凌雅を甘やかせてやろう。
私たちは始まったばかり。
この先、長い人生をずっと一緒に歩いて行くのだから些細なことも話し合ってすれ違わないように。
お互い言いたいこと聞きたいことを言ってすりあわせていこう。
「じゃあ私はこのブラックと瑠璃色のが欲しい。後は凌雅が決めて」
「よし。でも決めるのは明日にする。今からはうちの妻を可愛がる時間」
うわっ
ごろんっとソファーに押し倒され、がっちりした胸板と筋肉のしっかりついた腕に包まれる。
もはや嗅ぎ慣れた凌雅の香りは少し汗のにおいが混ざっていても少しもイヤではなく反対に好ましい。
凌雅の匂いに包まれると安心する。
「やっと捕まえたんだから、堪能したい」
「それ毎日聞いてる気がする」
「もう黙って」
そして私たちは今夜も熱を分け合って幸せな夜を過ごす。
シークレットのターゲット 終わり
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