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「怒鳴らなくても聞こえている」  飄々とした振る舞いに声を低めて言い放った。 「あんたは私を呼び出すために弟に手を出したのね」  水の宮はもったいぶるように、ゆっくりと木々の間から出て来た。澄ました顔で前に立つ。 「何のことだ?」 「とぼけないで!!」  私は強く奥歯を噛みしめ、その秀麗な顔をにらみつけた。 「智哉を返して。今ならまだ間に合うんでしょう?」  水の宮は瞳をわずかに細めた。 「──条件がある」  私は深くため息をついた。聞かなくても内容はわかっていた。が、たずねないわけには行かないだろう。 「何よ?」  水の宮はあっさりと言った。 「お前が俺の伴侶になることだ。そうすれば、弟のタマシは返してやろう」  私は思わず目を見開いた。そして、眉間にしわを寄せる。  私の疑惑のまなざしに涼やかな笑みで答えると、彼は私にささやいた。 「俺はお前が気に入った。そう悪い話ではあるまい? この現し世から離れるかわりに、俺と一緒にはざまの世界を永遠にたゆたうのだ。見ようと思えば、弟の子々孫々までお前は見届けることが出来る。もとより俺達の世界に近しいお前のこと、さして迷う選択でもなかろう。──どうだ」  私は白い少年の顔と、背後に広がるしぶきでできた七色の世界を見比べた。それはどちらも美しく、まだ人間である私の目には怖気づきたくなるほどだった。  私は一度視線を落とし、再び彼の顔を見た。 「断ったら、弟は死ぬのね」  水の宮の黒い瞳は私の問いかけに答えることなく、すべてを超越した光を灯して私の顔を見返した。  私は再び息をついた。 「……わかったわ」  水の宮はまるで花が開くように微笑んだ。 「そう難しい顔をするな。俺の伴侶になるならば、お前の望むことはなんでも俺の手でかなえてやろう。出来うる限り大切にしてやる。何も心配することはない」  私は一言つぶやいた。 「智哉を助けて。それだけよ」  そんな私に同情したのか、彼はわずかに瞳の色を和らげた。 「人とは違う。約束はたがえん、安心しろ」  私がうなずくのを確認すると、水の宮はふと陰のある笑みを浮かべて言った。 「お前、名は?」 「加奈子」  今度は間髪を入れずに伝えた。昨日教えなかった理由は伯母さんに止められていたからだ。「その手のやからに名前を告げれば、必ず執着されてしまう」と。もう意味のない話だが。  どこか楽しげな声色で水の宮は私の名を呼んだ。 「加奈子。今夜、お前を迎えに行く。それにあたって、お前に条件はつけさせん。……彰子でこりているからな」  私はきつく唇を噛みしめた。      *  真っ暗な縁側の向こうから、秋の虫達が夜もふけたことを知らせている。  私は離れの座敷で一人、布団の上に正座して、彼が来るのを待っていた。  私が屋敷へ帰るとすぐに、病院から智哉が息を吹き返したとの知らせが入った。泣きながら言う両親の声に祖父達は奇跡だと涙にむせんだ。水の宮は約束を守ったのだ。  私はそっと目を閉じた。  後悔はしていなかった。水の宮の言うとおり、確かに私は彼らに近しい人間だ。彼らの言葉に引きずられ、いつかどこかでこうなることはすでに覚悟していたように思う。伯母さんもよく言っていた。 『気をつけなければ。あなたのような子は危ないの。見えてしまった者達の仲間にされてしまうかもしれない』と。  ふと、私はくちずさんだ。  七つの子どもは神のうち  水の宮さまもしかたない  伯母さんが教えてくれた唄。  水の宮さまは子どもらの  タマシを食って返される  背後に人の気配を感じ、私は静かに振り向いた。  彰子伯母さん。  小柄な白い人影は、うつむき加減で私の顔を見下ろしていた。
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