私の茶碗が割れました

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茶碗が割れた。つるりと手から滑り落ち、一人暮らしの夜に響いた。 自分が不注意だったとは思わない。自信をもってそう思うくらい、科学的根拠のない出来事だった。 私は割れて軽くなった茶碗を、一枚ずつ拾い上げた。 ついさっきまで米が入っていた茶碗。大学進学に伴う、初めての一人暮らしをする際に買った茶碗。六年間、ずっと使ってきた茶碗――。 熱いものが一筋、鼻の横をつたっていった。まだ細かい破片が残るフローリングに、それは音をたてて潰れた。 別に宝物であったわけではない。強いて言えば、内側に描いてある雑なフクロウの絵が気に入っていた。ただそれだけだ。 しかし、大学一年生になったときから社会人二年目になる現在までの六年間、ほとんど毎日使っていた。私の門出を、そして一人暮らしをずっと支えきたこの茶碗に、私は執着に近いほどの愛着を持っていたことに、今気がついた。 未練はなかったつもりだ。安かったし、六年も使ったし。それに母ならきっと「厄が落ちたんだよ」とでも言うだろう。なんとなく、自分でもそう思う。そうでもなければ、割れた理由がわからない。手から滑り落ちた理由がわからない。 久々に鼻をすすった。涙の匂いで、鼻がつまる。拾える大きさのものは拾い、私は掃除機を出した。 一週間ぶりに使う掃除機は、細かい破片を勢いよく吸い込んだ。バチバチっとすごい音がして、二秒と経たないうちに、聞きなれた掃除機の音に変わる。 私は拾った大きめの破片を、慎重にチラシに包んでいった。一時間前にはまだ温かい米を乗せていた茶碗。洗う前の、ぼこぼことした米の跡の残る破片に、割れる前に洗ってあげたかったという思いがこみ上げてきた。もう一つ、涙が頬をつたった。 私は包んだものを胸の前に抱え、冷蔵庫を見た。ちぐはぐなマグネットで四点に止められた、ゴミ出しのカレンダーを確認する。幸いなことに、明日は不燃ごみの日だった。補正下着の写真のところに、ネームペンで「キケン」と大きく書く。 ありがとう、ありがとう、ありがとう――。まぶたの中で滲むものを必死にこらえ、私は眠りの準備に入った。
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