窓を叩くもの

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 ───時刻は、深夜2時。  不意に目が覚めた。隣で寝ている5歳の息子がムクリと起き上がったからだ。この子を産んでから、小さな咳払いの声でさえも目が覚めるようになった。その子が起き上がり、布団から出て行く。元々ベッドで寝ていたが、この子が産まれてから落ちてしまわないように布団に変えた。  ペタペタと小さな足で窓際に近付く。カーテンを捲って、ベランダをじっと見る。外が見たかったの? それとも寝惚けてる? 眠りを中断された脳は上手く働かず、ただ息子の動きを見守るだけ。出来れば布団から出ることなく、また眠りたい。朝までもう少し。  きゃ、と息子が声を上げた。小さな手で窓を叩く。きゃきゃ、と楽しそう。何か見えたのかな。月が綺麗だった?  その時、音がした───ベランダ側から。  小さな子どもの足音。楽しそうな笑い声。全部、外のベランダ側から。  息子はそれに応えるように窓を叩き、声を上げる。信じらない時間に、信じられない音を聞いて、恐怖に(すく)んで身体が動かせない。冷や汗が出る。緊張で手指が震えて冷えていく。有り得ない……何でこんな時間に子どもの声が?  有り得ない気配がする。異様な気配が濃くなる。窓を叩く息子の手に重ねるように、何かが伸びてくる。動かなきゃ。これは良くない。悪いものだ。息子に近付かせてはいけない!  息子の手が窓の鍵に触れる。開ける気なの!? 駄目、止めて! 何が外にいるのか判らない。開けてしまったら、息子がどうなるか判らない!  息子の危機なのに、凍り付いたように声は出ない。身体も動かない。瞬きすら忘れて思い切り目に力を込める。  開けては駄目! 開けては駄目!  行っては駄目! 行っては駄目、行っては駄目、行っては駄目!  どれほどの時間が経っていたかは判らない。実際は息子が鍵に触れてそのまま何もせず手を下ろしただけの間。たったそれだけの時間なのに、恐怖が精神と肉体を雁字搦(がんじがら)めにするには充分な時間だった。    どこか不思議そうに惚けた表情を浮かべた息子が布団に戻ってくる。息子が小さな手で触れてきた時、ようやく身体が動いた。急いで抱き締め、ベランダ側から距離を取る。部屋の電気を……と思った瞬間、ドン! と強い音がした。  ベランダに居る子どものような足音と声を持つ何か。()()が窓を叩いている。喉が引き攣れて、潰された蛙のような声が出た。ドンドンドンドンドンドン! と窓を大きく鳴らして揺らす。抱き締めた息子も腕の中で身体を固くしている。  一体、外には何が居るんだろう。  ここは住宅街。子どもたちの声が響いても不思議はない。家の中に居て姿は見なくても、いつもどこからかは楽しそうな笑い声が微かに聞こえている───昼間であれば。  今は違う。外に居るのは、普通の子どもではない。()()()()()()()()()。  お互い抱き締めあって、ただその恐怖に耐える。激しく窓を叩いたそれは、それからは一切の音を立てなかった。どこかに行った? 居なくなった? 確かめたくてもベランダ側に近付くのは恐怖でしかなくて、そのまま朝までまんじりとせずに過ごした。息子も離れられないようで、赤ん坊のころ以来の抱っこで眠った。  ───あれからは、何も異変は起こっていない。  あれは一体何だったんだろう。納得のいく答えはまだ出せれていない。出るものではないかもしれない。出さない方がいいのかもしれない。あれ以来、酷く怖がりになってしまった息子を抱き締める。  本当に、あれは一体何だったんだろう。あれはまた来るんだろうか。あれは一体今どこに居るんだろう。どこかでまた家に入れてもらおうとしているんだろか。  もし、また来てしまったら。もし、息子が窓を開けてしまったら───あの時の息子の様子は普通じゃなかった。  もしまた来てしまったら───一体、どうなってしまうんだろう───……
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