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並ぶ船舶はそれほど美しくなかった。昔は上品で垢抜けしていたかもしれない。そのうちに観光開発に貪欲な企業が集まってきて、タケノコみたいにいろんな店を建て、SNSで宣伝をして、あたりを埃っぽい町と船に変えてしまった。並んだプレジャーボートはセレブの象徴だったはずだが、そのまわりにはインスタグラムの観光客が溢れて、今となっては醜悪で不機嫌そうな鉄の塊りに見えた。
その中の一隻が臨検の対象になった。
県警の水上警邏隊は全長215キロメートルの阿賀野川をカバーしている。しかしながら、県の赤字財政と慢性的な人手不足が足枷になって、河川の安全は薄氷のような状態だった。なにしろ、肝心の艇の数が圧倒的に少ない。そこで苦肉の策として、おれのような民間のボートと行政が契約を結ぶことになったのである。
「強制接舷して移乗しますか」
目標のプレジャーボートまでかなり接近していた。キャビンの窓は全て閉じられていて中は見えない。コクピットの窓は陽光を浴びて、鏡のように反射している。
「いや、そこまで緊急じゃない。表敬訪問だよ、菊崎くん」渡部巡査部長どのは、またにんまりと笑った。この奇妙な笑みが要警戒だということを、彼の石のような眼の固さが教えていた。「そこの空いてる舫に船をつけてくれ」
「了解」
大型プレジャーボートの後ろに停泊していた小型フィッシングボートのさらに後ろに、おれはエアボートを係留させた。
川べりの土手を行き来する観光客たちが、珍しそうにプロペラ付きのボートを眺めている。さっそく、スマホをかまえて撮影をはじめた。おれがアーノルド・シュワルツェネッガーみたいに葉巻を咥えて、インスタ映えに一役買ってやれば喜ぶかもしれないが、遊んでもいられず、彼等にはなんとでも思わせておくことにした。
「行くぞ」
渡部巡査部長は舫綱を手繰りながら岸に上がった。群がってきた女の子たちを睨みつけて追い払い、大股で歩いていく。白い船体にブルーのラインが引かれた大型ボートのへりを跨ぎ、ごつごつした拳でキャビンのドアを叩いた。
おれも巡査部長の隣りに並んだ。
淡いグリーンのボーダーシャツを着た、まだ三十にはまだ間がありそうな、
すらりとした長身の青年が出てきた。青年の背後に香水のような匂いがこもっていて、足元から湧いているみたいにおれの鼻をくすぐった。
「どちらさま?」
透き通るような明るい声だった。
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