臨検

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臨検

                1  (ケツ)からモゾモゾ虫が侵入してきて、大腸をひとまわりして、胃の当たりで暴れて、喉元までせり上がってくるんだよ。  ミャンマーの湿地帯で知り合ったおれのは、エアボートの乗り心地をそう表現した。彼は気さくで、陽気な男だった。そしてエアボートを手足のように使いこなす、少数派民族の武装勢力の戦闘員でもあった。  五年後に日本へ帰国したおれは、エアボートの扱いをいささか深めることになった。  エアボートはモーターボートやプレジャーボートとは違い、船尾に航空機用エンジンをマウントしている。直径二メートルを超える推進用プロペラを回転させて前進、旋回をする小型船舶である。その凄まじい駆動音は鼓膜を聾するほどだが、時速七〇キロで水上を疾駆できるし、平底構造になっているので浅瀬や砂地、湿地帯も航行できるすぐれものだった。ボートの前部に二人掛けのシートが二列配置され、ボート後方に運転席がある。つまり、視認性をよくするために運転台が高い位置にあるのだ。  航行中は防音用のヘッドホンをする。  おれは運転台に座り、左手で一本式の操縦桿(スティック)を前後に操作していた。スティックを前に倒せば右へ、後ろへ倒せば左へ、センターが前進だ。速度はスロットルペダルを踏んで調整する。ブレーキはない。  阿賀野川は福島の山岳地帯に源流にもち、群馬を通りぬけて新潟の山間部を蛇のようにうねりながら流れ、越後平野から日本海に注ぎこむ全長215キロの一級河川だった。  川面(かわも)は初夏の陽射しを受けてギラギラと反射していた。風防の無い運転席へ吹き込む風は、若葉の匂いを含んでいる。いい陽気だった。河の流れは穏やかで澄んでおり、河口から百キロほど離れた山岳地帯に驟雨が降ったという情報もなかった。  このまま天候がもてば、今夜のラオユエ祭りもきっと盛り上がるだろう。  おれは思わず紺碧の空を見上げた。  隣席の水上警察官がおれの脇腹を軽くつついた。右手が2時の方向を差している。  目の前に幹線道路の鉄橋が接近していた。鉄橋の真下は、係留地になっており、大小さまざまなプレジャーボートが舫でつながれていた。  スロットルペダルを緩めると、頭の真後ろの駆動音が急に静かになった。惰性を利用しながら操縦桿(スティック)を前へ倒した。ゆっくりと右へ向かっていく。 「渡部さん、何か問題でも?」  おれはヘッドホンを首の後ろ側までずらした。三か月前まで覆面パトカーに乗って機動捜査隊に所属していた渡部逸郎は、ヘッドホンをはずしながら頷いた。 「あの前から二番目に止まってるやつな、わかるか」渡部は指で差さず、目線だけで、いかにもセレブっぽいキャビンつきの大型ボートを示した。「臨検いくぞ」 「ヤバい?」 「おれのカンは外れんよ」 五十歳のベテランはにんまりと笑った。「バックアップよろしく」 「あの、いつも言ってますけどね、僕は民間人ですよ。」  民間人を強調したが、渡部は聞こえないフリをしている。  
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