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3 人類の寿命選択に伴う法
どこで間違ったのだろうか?
すっかり世の中は変わったような気がする。
戸籍上では孫にも、曾孫にも、玄孫にも恵まれた。だが、わたしの周りを見回せば、ロボットだらけだ。最新の統計によれば、人間の総人口よりもロボットの台数のほうが上回ったという。
『私には夢がある』
ニュースを付けるとそればかり。
人型ロボットの開発が進むにつれて、生身の人間にも恩恵があった。手や足、内臓に至るまで、数々の部品を高性能にすることができたのだ。
最初は怪我や病気をした者が……いつしか健康体でも、生体から機械へ交換する者が現れた。
人類のほとんどの老人はそうであろう。このわたしも膝を痛めて、機械へと交換している。
さらに肢体だけではなく、脳が衰えると、人工脳へと換える者まで現れた。
それがきっかけであろう。人工脳に切り換えた人間と、純粋な生物として生まれていないロボットとの境界線が無くなったのは……。
高性能なAI搭載ロボットには、人権があたえられてもいいのではないか。
ロボットは昔のように人間の奴隷として働くようなこともない。
彼等にも自由が与えられてもいいのではないか。
気が付けば、そんな理論がわき上がっていた。
世の中はもはや、その話題で持ちきりだ。
『すべての生命は平等に作られている。我々もそうです』
今、ニュースに映し出されているのは、人間とロボットの境界線を撤廃しようという運動の中心人物だ。
『これからもロボットと人間が手を取りあって、よりよい世界を作り続けていきましょう』
はたして、このモノは人間か? ロボットか?
顔半分は樹脂製であり、片腕もあからさまに機械だ。
「おじいちゃん。決まりましたか?」
ふと、わたしに声をかけるモノがいることに気づく。。
「脳を人工脳に移植するかどうか決めましたか?」
「ああ、そのことか……」
どこで間違ったのだろうか?
純粋な人間の……つまり、人工脳にしていない老人は社会の負担である、といわれ出したのは……。
『人類の寿命選択に伴う法』
という法律まで、いつの間にか制定されてしまった。
傷んだ生体である臓器や肢体は機械に置き換えることが一般的になり、部品を交換し続ければ半永久的だ。だが、生体の脳では進んだ医学でも120年が限界だそうだ。そこも人工脳に置き換え、部品さえ交換すれば、半永久的に生き続けることが出来る。
限界を超えた脳を使っている者は、社会の負担になる。
それが法律を作ったモノの理屈であろう。
120歳を迎えた者は、人工脳にするか、安楽死するか……。
大昔、年寄りは負担になるだけだ、といった法を作り、老人を切り捨てたことがあった。そういう昔話があると聞かされた。
それがわたしの前に突きつけられたのだ。あの話では、老人は自分の知恵で救われた。だが、今はそんな知恵など、何の役にも立たない。
知恵も知識も、人工脳……コンピュータの中に落とし込むことができるのだから。解らないことがあれば、ネットワークに繋がった世界中の誰かから貰えばいいのだ。
――機械の中で生きるというのは、どんな気持ちなんだろうか?
わたしにもその選択の時がやってきた。
「どうしますか? 人工脳にするのは今時のステータスですよ」
若い頃同じような言葉を聞いた記憶がある。
はて、このモノは……わたしの孫であったか、曾孫であったか――
〈了〉
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