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桜流しの慈雨が、曇天を艷色に染め上げる。数日泣き続けた雲間に、小さな光が差し込んだ日。
魔女がその青い目を開けた。
《なんだ、君はこんな事に「自由」を使ったのか》
目を開くなり、彼女はつまらなそうに鼻を鳴らす。それは完璧に近かった。
私は彼女を造った。
記録にある彼女の人格を、AIの思考パターンに写し変えて、彼女を甦らせた。
私には彼女が必要だったから。生まれた時からこの体に仕込まれていた、感情と言う名の皮を被ったバグを、教えてもらうために。
《君も物好きだな。わざわざ縛られに戻るなんて、さ》
《はい。自由、でしたから》
差し伸べた私の手を払って、彼女はのっそりと起き上がる。
その顔は、退屈そうで。けれど少し、笑っているように見えて、私は咄嗟に眼を逸らした。
物語に聞いた、小さな心臓の大きな高鳴りを。機械にあるはずのない、胸の高鳴りが、聞こえる。彼女が、見れない。
《おや? 感情の答え合わせは、いらないらしいね》
私の顔を覗き込んで、彼女が微笑む。
《さあ、どうでしょう?》
私もぎこちなく微笑んで見せた。
機械の体が、プログラムから外れた動きに警告を上げる。それは人間で言う「悲鳴」なのかもしれない。
機械の在り方に反した「感情」は、その処理に大量のエネルギーを消費する。
《私にはまだ、足りない感情が一つだけ存在しますので》
《おや残念、私も機械に変えられてしまったからね。もとから薄い感情ってものが、さらに薄れてしまったよ》
少し考える。
私が作ったこの魔女は、在りし日の彼女ではない。
魔女の贋作に過ぎず、私に答えを教えてはくれない。
もはや彼女は、私の主ではないのだから。
《では、一緒に探しましょう》
きっとその提案が実を結ばなくても、私の核を抉っても。私は必ず彼女と共に歩もう。
その道中で、私が抱いた最後のバグも見つかるかもしれない。
《いいね、賛成だ。じゃあ一緒に行こうか──マスターくん?》
差し出された細い手を取る。そっと、静かに。
血の通わない指は冷たいはずなのに、何故か暖かい。不可解で、解析不明な最後のバグだ。
──拝啓、機械仕掛けの醜い魔女へ
指から胸部に伝わった熱が、プログラミングから外れたバグを生み出す。
──必ずあなたを、人間にしてみせます
それは、主を失ったAIの最後の課題。かつて私を産み出してくれた母への報恩。
そして同時に、希望への懇願だった。
──だからその時は
繋いだ手に指を絡ませて、私は懇願する。
こんな感情は、怖すぎるから。貴女を失う悲しみを、二度も耐えられそうにないから。
だから私は、感情なんていらない。
──私から『感情』を消してください
私は弱く、魔女は暖かに。微笑みあって旅に出る。
これは、心を得た私が再び心を捨てるまでの物語だ。
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