8人が本棚に入れています
本棚に追加
名残りの雪が溶けきる前に、彼女の生命は停止した。
その日の空は春隣で、海のように深かったことを覚えている。
魔女みたいな彼女が死ぬには、少し明るすぎる空色だったと思う。
『私が死んだら、君は自由に生きなさい』
彼女の遺言は、今も電子の海を漂っている。
けれど機械の私には、選択する「自由」がない。
いつだって彼女の命令に従い、電力を消費すれば眠る。
それだけの生活だった。
そこに自由はなくて、けれど不自由もない。
きっとAIの私にすら演算の追い付かない、彼女だけの演算式が、私の生活を調整してくれていたのだろう。
だから私は、彼女の事を「魔女」と呼んでいた。
『魔女?』
かつて魔女に、そう呼び掛けたことがある。
淡白に、けれど少し面白そうに瞠目した彼女の言葉を、私は今も思い出す。
『おかしな事を言う子だな。私はただの学者さ、魔法なんて使えっこないよ』
あっけらかんと言い放った彼女はもういない。死んでしまった。
治療法の確立された流行り病。
それも、流行が終息しつつある末期に。
医者にかかれば治るであろうとされた彼女は、しかし誰にも会わずに死を選んだ。
『私は、魔女なんだろう……? なら、死なんよ。大丈、夫さ』
彼女の弱い微笑を見て、私は悟った。
どんな言葉も、受け手によっては呪いに変わる。
私が彼女を表した「魔女」と言う言葉は、彼女を少なからず変えてしまったらしい。
──この世に純度100%の優しさなどありはしない
私を構成する語彙。人間らしさを演出するために組み込まれた、哲学者の言葉を思い出す。
『だから、来なさい。まだ施していないプログラミングがあるんだ』
そう言って、彼女は私にプログラミングを施した。
今になって思えばそれは、ウィルスのようなものだった。
私が彼女にかけた呪いの、仕返しのようなものだったのかもしれない。
『さあ、これで君は完成さ。君には「感情」をプログラムしてある』
痛みと苦しみの中で、けれど満足げに笑うと、彼女は小さく息を吸った。
『私が死んだら、君は自由に生きなさい』
それだけを言い残して、魔女は死んだ。
最初のコメントを投稿しよう!