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1.(伊月視点)
現在、午後1時45分。葉築の祖父母家へお邪魔する約束の時間15分前。最寄り駅で、迎えに来てくれるという葉築の祖母に連絡をして待っている。
「やっば、すげー緊張する・・・」
「伊月さんでも緊張するときあるんですね。」
「普通にあるわ。人よりする機会が少ないだけで。」
朝からいつも通りに過ごしているように見せてその内はかなり緊張していた。
「あ、来ました。」
「おまたせ~。遅くなってごめんね。」
最寄駅から祖父母の家までは歩くと30分はかかると言っていた。10分で到着したってことは車のはずなのだが、話しかけてきたおばあさんは手を振りながら歩いて近づいてきた。
「大丈夫だよ。車で来たんじゃないの?」
「30分無料のところに置いてきたのよ。そちらが梓くんね?」
「あ、はい。ご挨拶が遅れてすみません。梓伊月です。よろしくお願いします。」
あばあさんが伊月さんに話しかけた。緊張していると言ったが、そんなものは微塵も感じさせないように自己紹介しつつお辞儀をした。
「あらあら、礼儀正しい子ね。私は葉築の祖母の幸子(さちこ)よ。今日は会いに来てくれてありがとう。」
「いえ、こちらこそ。急にお邪魔してしまうことになったのに、お招きありがとうございます。」
「じゃあ、立ち話もあれだから、家に行きましょう。旦那もあなたたちに会うの楽しみにしていたから。」
幸子さんが歩き出してその後に二人でついていく。駐車場はすぐについて、白いワゴン車に乗り込む。
「私、運転下手だから、酔っちゃったら遠慮せずすぐに言ってね。」
「わかりました。車酔いはしにくいので大丈夫だと思いたいですけど。」
「そっか。じゃ少し安心かな。さて、じゃ、出発進行~。」
伊月は酔いやすいと言われている『日光市のいろは坂』でも、バスの一番後ろの席で外がまともに見えないにもかかわらず一切酔わなかった。だから、酔わない自信はあった。車に乗り込んで家に向かって行く。言うほど下手ではなかった幸子さんの運転は心地いい。
「おばあちゃん、今日テンション高いね。」
「そりゃそうよ。葉築から聞いていた梓くんに会えたんだもの。」
「え、ちょっとまって、何言ったの?」
そういえば今日初めて会う伊月の名前を知っていた。昨日の電話では名前まで入っていなかったからその前から知っていたことになる。じゃ、何を聞いていたのか。気になって葉築に尋ねると幸子さんが答えてくれた。
「安心して。口調は粗野だけど葉築のことを守ってくれる、とてもやさしい人って聞いてる。」
間違ってはいない。普段の口調も荒っぽいのは自覚している。危険な目にあわせたくなくて、うざいくらいに葉築にくっついていたのは自己満足だ。
「間違ってないけど、全部俺の自己満足ですよ。」
「それでもいいのよ。葉築が傷つかないなら自己満足上等。好きにやりなさい。」
幸子さんは優しい顔をしている割に、かなり大胆な性格のようだ。人は見た目によらないとよく言ったものだ。
「ずいぶん豪快ですね。」
「旦那にも言われたわ。梓くんは随分とαらしくないわね。」
αっぽい、βらしくないって言われ続けてきた人生だったのに今、それとは正反対の言葉を言われて、驚いて何も言えなくなってしまった。話さないことで不機嫌になったと勘違いさせてしまったのか、幸子さんが焦った声を出した。
「あ、もちろんいい意味よ?私が今まで見てきたαとは違う気がするの。」
「違うんです。いやになったとかじゃなくて、今まで言われ続けた言葉とは反対のことを言われたのは初めてでびっくりしたんです。」
急いで弁明すると安堵してくれた。
「そうなの。実はね、私人によってはαって嫌いなの。αって何をするにも自信満々でΩを見下してて、傲慢な人が多いから。でも、梓くんからは傲慢さが微塵も感じないのよね。」
運転しながらだから前は向いたままだけど、時々伊月の方を気にかけてくれている。
「あー、俺去年まではβだったんです。今もだけど俺は傲慢なαが嫌いで。変転した時、あのクズどもと一緒なのが気に食わなかった。そう見えてないならよかったのかな。」
「いきなり変転しても、人ってそう簡単には根っこの部分は変わらないと思いますよ?だから大丈夫です。」
今まで黙って話を聞いていた葉築の言葉だった。変転してからずっと引っかかっていた。何をするにもαっぽいと決めつけられていて、否定しなければ勝手にαと認識されるという過去。それだけ伊月はあの反吐が出る人種と同じなんだと突きつけられている気がした。αになってもβの時と変わらないように過ごしたけど。
―人はいきなり変われない。―
そんなありふれた言葉でも、たった今救われた。
「お前、それ、今言う?」
「え??なにがですか?」
「ふふ、仲良さそうで安心だわ。さぁ、ついたわよ。」
車が一つの家の前で停止した。木造の古民家といった感じだろう。車を停車させるためか、門扉は開けっ放しの状態で錆びていた。その奥の玄関らしきドアの前で一人の老人が手を振りながら立っていた。
「あ、おじいちゃんだ。」
葉築のおじいさんのようだ。葉築がいちはやく、車を降りて駆け寄っていく。それに続いて伊月と幸子さんが車を降りていく。
「いらっしゃい。梓君だね?」
「はい。初めまして、梓伊月です。突然だったのにお招きありがとうございます。」
さっきよりは緊張が解けていて普段通りにできたとは思う。幸子さんにした時と似た挨拶をする。お辞儀をするために下げた頭を上げると、おじいさんは呆気に取られていた。見かねた幸子さんが声をかける。
「ちょっと、自己紹介してくれたのに無言はないんじゃない?」
「あ、すまないね。ちょっとびっくりして。初めまして。葉築の祖父で什造(じゅうぞう)です。梓君はαなんだよね?」
「はい、そうですけど・・・」
「αっぽくないんだね。」
今度は伊月が呆気にとられる番だった。一日に二度も言われた。
「幸子さんにもさっき同じことを言われましたよ。」
「やっぱりか。でも、君はどこか幸子に似ているね。」
どういうことだろうか。その意味を聞く前にさえぎられてしまう。
「ほら、家入ろう。立ち話してると風邪ひいちゃうよ」
幸子さんに背中を押されて家に入る。中に入ると外ほど古いとは感じないくらい綺麗だった。靴を脱いでまっすぐ進み、ひとつのドアを抜けると暖かい部屋に入った。真ん中に6人テーブル、その上にはおせんべいや蜜柑が入った籠があった。テーブルの奥にはテレビがあった。
「さ、座って待ってて。」
「あ、これ、せんべいが好きと聞いたので、もしよかったら食べてください。」
ここへ来る前に買ってきた煎餅が入ったものを幸子さんに渡す。
「あら、ありがとう。ここのお店、美味しいのよね。什造さんも好きだからうれしいわ。」
気に入ってくれたようで安堵した。幸子さんはお茶を用意するために台所に入っていく。
「本当に伊月さん緊張してたんですね。」
「だから、俺のことなんだと思ってるわけ。宇宙人かなんかか?」
「そんなんじゃないですよ。初めて見るので新鮮なんです。」
「葉築が俺たち以外に心を開いてるのは初めて見るな。」
「私もさっき思ったのよ。本当に梓くんには心を許しているのね。」
葉築が笑顔になっているのを見て、二人は嬉しそうに見ていた。葉築と出会った頃は自分自身でさえ、笑っていると気づかなかったくらいだから、ほとんど笑えなかったのだろう。
「ちょっとおばあちゃん、言わないでよ。」
「嘘は言ってないわよ。」
「恥ずかしいんだよ!」
「俺はそういうの知れてうれしいけど?」
台所にいる幸子さんに反論したけど反撃を食らい、いたたまれなさそうにしているところに伊月が畳みかける。葉築は何も言えなくなり膝に顔を埋めて縮こまってしまった。その行動に愛おしさを感じて口元が緩んでいると、横からの視線に気づいた。
「梓くんは本当に葉築のことが好きみたいだ。」
「そ、そりゃそうですよ。愛していないやつを番になんてしないし、ましてやこうしてあいさつに来て緊張なんかしません。」
改めて他人の口から好きなんだと言われるとこっぱずかしいが、事実だから開き直る。いまだに膝に顔を埋めている葉築の表情は見えないが、耳どころか首まで真っ赤になっていた。幸子さんがお盆の上に4つのお茶といくつかのお菓子を乗せてテーブルまで戻ってきた。
「ものすごい溺愛ね~。梓くん、これからも葉築のことよろしくね。」
「葉築のこと、幸せにしてやってください。」
二人がおもむろに頭を下げた。葉築はこの二人からとても大事にされてきたのだと分かる。
「はい。一生かけて幸せにします。」
「葉築、こんなに思ってくれる人は一生に一度出会えるかわからないわよ。あんたもちゃんと梓くんを幸せにしなさい。」
幸子さんが葉築に頑張りなさいと言った。頑張らなくても一生愛せる自信はあるが嫌がられても離せる自信はない。
「葉築は今のままでいい。そばにいてくれるだけで俺は勝手に幸せになるので。むしろ俺が愛想つかされないように努力します。」
「俺も、伊月さんのことを幸せにする努力は怠りません。昨日よりも好きになってほしいですから。」
葉築は伊月に攻められると照れたり恥ずかしがるくせに、自分で攻めるときは照れたりしないのだから質が悪い。本当に理性崩壊の危機だ。
「私の持論だけど、長く一緒にいる秘訣は話し合いと愛がお互いに向いていることだと思ってるの。」
一方的な愛ほど煩わしいものはないとのことだ。昔色々あったそうで、遠い目をしている。
「まぁ、それは置いておくとして、二人のことをもっと教えてくれないか?」
その言葉に幸子さんも反応して、質問攻めにされ根掘り葉掘り聞きだされてしまった。
質問攻めにあった後、時間が随分と経過していることに気づいて、帰宅した。二人は葉築の家の前で立ち止まる。
「じゃあ、また明日、迎えに来るよ。」
「え?」
「え、一緒に学校に行く気だったんだけど、ダメか?」
「そうじゃないんです!そうじゃなくて、えっと、一緒に登校してくれるんだって思って、嬉しくて。」
もう一緒にいるための口実は必要ない。そばにいる特権をもらったのだ。
「自分で言うのもなんだが、俺は重いんだ。少しでも一緒にいたいんだよ。」
「俺もです。もう明日の朝が待ち遠しい。」
「まだ目の前に本物がいるのに早いだろ。」
別れてしまうのがわかっていると、今から寂しいと感じてしまう。葉築の気持ちも理解できるからか、伊月さんは苦笑していた。少しでも離れていたくないと思ってしまう自分自身に呆れる。
「じゃ、これで我慢してくれ。」
それを合図に、伊月さんの右手が葉築の後頭部、左手は右頬に添えられて、顔を固定されてしまった。伊月さんの顔がゆっくりと近づいてきて、視界がぼやけ始めたときに目を閉じた。暗くなった視界の後、唇に暖かくて柔らかい、少しカサついた伊月さんの唇が触れた。二回目のキスは、一回目とは違い数秒間触れていた。葉築を安心させてくれるあの匂いとともに触れた、甘い感触はずっと忘れずに記憶に刻まれた。
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