問いかけ

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「ここ、どこかはわかりますか?」  私は慣れた調子で、目の前に横になっている彼女に聞いていた。  私の勤め先は病院。高校大学を経て看護師となった。病院勤務しか経験のない生粋の看護師である。  私は今、脳卒中に特化したチームにいる。脳卒中ーー脳梗塞、脳出血、くも膜下出血と呼ばれる疾患の方々を主に看させて頂いている。  頭の中の血管が詰まるか、あるいは出血することで脳卒中は起きる。BADと呼ばれる、入院中ですら症状が進行的に悪くなってしまう事があるという特徴を持つ脳梗塞も存在する。入院患者様の40%が症状悪化したと言う研究結果を見た事がある。治療せずに悪化するなら分かるが最善の治療をしているにもかかわらず、半数近くが悪化するのだ。おそろしい限りである。  その原因は様々であるが、発症した方々は入院中に症状が悪化してしまうことがある。それは予防しきれない。精一杯の治療をしていて、2時間置きに症状を観察しても起こり得るのだ。  脳卒中を起こしてしまうのには原因がある。つまり、脳卒中となった方々は脳卒中を起こしやすいリスクを抱えた状態であるのだ。そのため、治療中に新たな脳卒中を発症することもある。  症状悪化や新たな脳卒中の発症リスクがあるが故に、入院後は定期的に病室に訪室しては症状や血圧、熱などを確認し、状態変化がみられないかを確認していく。  意識レベルと呼ばれるものはとても重要だ。  昏睡状態にあれば、即座に治療が必要である。また、普通に会話できていた方が、今いる場所や日時が言えなくなり、会話が噛み合わなくなっていたならば何らかの病変に犯されているとも考えられる。そう言う時にはすぐにドクターを呼び、検査を実施し、病変の悪化がないか、新たな病変がないかを確認していく。  脳卒中は時間との勝負だ。いかに早く治療を開始していくかで予後が変わる。発症直後しか使えぬ薬だってあるのだ。使えば後遺症が少なく済む可能性が高くなってくる。  とりあえず、ファーストコンタクトが大切となる。見るからにおかしいと察する能力は重宝されるわけだ。  ぱっと見でその人に普段と比べ違和感がないかを五感をフル活用してみていく。  そして、会話。  簡単な意識レベルの確認であれば、起きているか否か、声かけで起きるか、刺激で起きるかと段階的に確認していく。  その後、名前、日時、場所を問いかけ言えるか否かを確認する。ぼんやりしてないか。言葉がつっかえないか。呂律は回っているか。何気ない会話をしつつも、それを確認する。  1日に何度だって同じ質問を繰り返す。何度だって聞いていく。言えれば良いが言えなくなったら大変。聞かなかったから見過ごしたでは笑えない。何度だって聞くべきなのだ。 「え?」  脳卒中は老人が多い。はじめから難聴があればこちらの質問の聞き取りは困難であるのは当然。認知機能が下がっていたりもする事もあり、一度で質問を理解できないなんてことがあってもおかしくはない。  ゆえにこちらからの問いかけを聞き返されることも少なくない。 「ここはどこ?」  短く聞き取りやすく耳元で同じ質問を繰り返す。言い方を変えてみたり、端的に言ってみる。というように伝わるように工夫する。  質問が伝わったからと言って望んだ回答が得られるかと言ったらそうではない。はじめは回答できなかった方も治療と共に回復していき、回答が出来るようにもなったりする。経過を見る意味でも、毎日、同じ質問を繰り返す。  ここはどこ?あなたは今、どこにいますか? 「実験場!」 奇天烈な回答が来ることもザラじゃない。 が。 吹き出すことはある。いや、あるでしょ。思いもよらない返答についつい、顔が緩む。 「実験場?じゃあうちらが試験する人で君らがモルモットかぃな?」  ついつい、言葉が砕けてしまう。笑い出してしまう。周りにいたスタッフもまた、笑顔を浮かべていた。 「うん!」  いやいや、うんやないよ?うちら、犯罪者やないんやから。なんでモルモット的な認識なんよ?あれか?ベッドから1人で動いて転んだりせんように、ベッドから動けんように固定したりした上で、薬を投与したりするからか?  まぁ治療への理解が出来なければモルモット気分で怖いよな。でも怯えることなく楽しそうに元気に返答するね、君は? ………うんうん、楽しそうだから良いや。  私も笑ったし。良しとしといてあげる。さ、仕事を続けるか。 「ここは病院やおー。病気してまって、入院しとるんやに?」 「病院?うっそだぁあ。」 「ほんとなんやけどなぁ。んじゃ、今日の日にちはぁ?何月何日やろか?」 とりあえず、私は会話を続けていく。  あなたはどこにいますか?その問いを日常的にしながら私は働く。時にはそれにより笑みをもらえる素敵な職業だ。
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