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ヒメはこたつで丸くなっている。
こたつの上は一通り片づけられ、残ったカニカマ炒めを肴にちびちびと戸石はビールを飲んでいた。
あらかたの洗い物を済ませ、あきらがこたつに戻ってくる。
「またこうやって、家族みんなで勢ぞろいして楽しくやりたいわね」
「そうだな。みんな、子供は大きくなると親元を離れていっちまうもんな」
「別れは寂しいものね」
戸石はあきらのグラスにビールを注ぐ。
二人は軽くグラスを合わせ、ビールを口にする。
「何か、まだ気にかかることでもあるの」
戸石は笑う。あきらにはかなわなかった。
「……先生のこと」
「ああ、ケンカしたってやつ? 仕方ないんじゃない」
「そんな簡単に割り切れねえよ」
「だったら連絡してみれば?」
「……それはちょっと」
ばつが悪そうなそぶりを見せる戸石に、あきらは笑う。
「自分は自分、他人は他人。結局、人生なんてなるようにしかならないんだから。縁があれば、また会うこともあるんじゃないの」
「かーちゃんは強いよな」
「おとーさんが優しすぎるのよ」
その答えをすぐに返せるあきらには本当にかなわないな。と戸石は思う。
と、突然むくりとヒメが身体を起こした。
寝ぼけているのか、戸石とあきらの顔を交互に見る。
「アイス食べたい」
むくりと起き上がる、ヒメ。
しかし、歩いていったのはトイレだった。
「そうね。アイスも片づけましょうか。せっかく作ったんだし」
あきらはキッチンに行き、ラップをして冷凍庫に入れていた三密アイスを三人分のスプーンと一緒に持ってくる。
「あれ、アイスはー?」
キッチンからのヒメの声。
「こっちよ、みんなで食べましょ」
「ちょっとずるい。自分達だけで」
こたつを囲んで三密アイスにそれぞれスプーンを伸ばす三人。
「みんなで食べるのもおいしいわよね」
「グループ客相手に出すのもいいかもな」
「ダメだよ、今は。うちらは全員コロナ済ませたからいいけど。今日の鍋だってそうでしょ。あれができるの、うちらみたいな済ませた人間同士だけじゃん」
ヒメの言葉に戸石とあきらはハッとする。
「そういえば、そうだったわね」
「ほんと、いつまで続くんだろうな、この状況」
二人は先の見えない状況にため息をつく。
「ワクチンが出てくれば終わるんじゃない? 秋ぐらいには来るんでしょ? もっとも、あたしらは一足先にアガリだけどね。ざまあみろってんだ」
ヒメが何に対して吠えてるのかはよくわからないが、それをいいたくなる気持ちも戸石にはよくわかった。
「でもそうよね、実際、こうやって家族みんなでご飯も食べらんないものね。他の家は」
「そうなのか?」
「さっちんもそれは言ってた。みんな、自分の部屋で食べてるって」
「みんな、コロナにかかったって、言えなくて大変みたい」
「変に話を出したら感染したって思われちゃうしね。コロナの話、みんな気になってるくせにさ。あーやだやだ」
「ああ、そうか。そうだよな……」
みんな、目の前の二人のように豪快に生きていけるわけじゃない。
戸石はあえて思うだけで口にしなかった。
「堂々としてりゃいいじゃんね。二週間経ったら元の生活していいって言われてるんだし。普段、ただの風邪とか言ってる連中がいざ身内に出ると、ぎゃーぎゃー騒ぎ立てるのよ。PKOだかなんだか知らないけどさ。ほんとやかましい。去年の今頃だって死亡者百万人!日本列島最期の日!とか言って煽り立ててさ。そこまでの話かっていうの」
「WBOだっけ? 世界の偉い人達がきちんと調べて、そう言ってるのにね。なんでテレビとか新聞を信じちゃうのかしら」
「そうそう。そうやってテレビや新聞ばっかり見てるから、ハゲになるのよ。このハゲーってね!」
「ハゲは関係ないだろ!」
さすがの戸石も、そのヒメの主張に抗議をせずにはいられなかった。
「関係あるでしょ。このご時世に陰気なニュース垂れ流して、髪の毛に良いわけないじゃない」
だが、あきらの主張ももっともだった。
「……まあ何でもいいよ。どうせみんな好き勝手に生きてるんだ。言わせておけばいいさ」
あきらには逆らうことはできない。
戸石はグラスに残っていたビールを飲み干した。
「好きでコロナにかかった人なんていないのにね。二丁目のタドコロさんみたいにブロックコイン?ビットチェーン?とかいうネットの賭け事で借金抱えて、とかならともかく」
「このご時世にどうするんだろうな、タドコロさん。家も買い手つかないんだろ?」
「なんかビデオ出演でお金作るとか言ってるって聞いたわよ」
「動画配信じゃないの、それ。ビデオ出演とかいつの時代よ」
「なんでもいいじゃないの、細かいことは。ビデオも動画も一緒でしょ」
「いや、良くはないでしょ。うちらだって人の不幸を好き勝手言ってるじゃん」
「悪意はないから別にかまわんだろ。外に出すわけでもなし」
「そういう問題じゃないでしょ。何言ってんのよ!」
この辺りの戸石とヒメの感性の違いは、育った時代によるものもあるのかもしれない。
「まあ、中でも外でも出したいものは出したいじゃない。ため込むのはよくないわよ」
そして、あきらがケラケラと笑いながら身も蓋もない言い方で締める。
久しぶりの三人の夜は、他愛もないやり取りで更けていく。
それは緊急事態宣言が始まったこの一年間の間、ずっとすることのできなかった、今まではできていたもの。
戸石、あきら、ヒメ。
三人の中でこの一年間の積もり積もったものは、その日、絶え間なく明かりとなって、消えることは無かった。
朝が来て、一台のバイクが戸石の家のポストに封筒を投函して去っていく。
戸石はそのバイクの音に目を覚まし、リビングまで行くと、香ばしいにおいが立ち込めていた。
「なにやってんだ」
「クレープ」
ヒメがキッチンでフライパンを使ってクレープを一枚一枚焼いていた。
多少のおぼつかなさはものの、ある程度の練習した形跡が見られる仕草。
いつの間にそんなことができるようになったのか。
昨日、冗談交じりに事業をやりたい。と言ってたのは本気なのかもしれない。
内心、感心しつつも、戸石は玄関先に置いてあるマスクを着けて、ポストに向かう。
郵便物を取りに行くのはまだ自分の仕事である。
このあと、スーパーやドラッグストアになんだかんだと買い出しを命じられている。
現状、外に出歩けるのが自分しかいないので仕方がないと言えば仕方がないが、あきらもヒメも明日になれば自由に出歩けるのだ。
一日ぐらい待てないのか。と言いたかった。それを言う勇気はなかったが。
郵便受けには一枚の封筒が入っていた。
差出人の名前は無く、ただ手書きで、手続きはお早めに。と書かれていた。
戸石はそれでピンと来た。
戸石は封筒の頭を切って、中身を出す。
入っていた書類には保健所からの要請に伴う隔離、療養を受けた人間を対象とした手当金の書類だった。
戸石は確信した。
戸石は玄関を駆け上がり、二階の寝室に駆け上がる。
いつも寝床に置いてあるはずのスマホが、ない。
「どうしたの、バタバタと」
寝ていたあきらがむくりと身体を起こす。
「スマホが、スマホがないんだ」
「……昨日、リビングに置きっぱなしじゃないの」
戸石はバタバタと一階に降りていく。
あきらはゆっくりと身体を伸ばし、まだ半分寝ている身体を起こし、大きくあくびをした。
戸石は一階のリビングで自分のスマホを探す。
「スマホ? ここだよ」
キッチンから、ヒメが戸石に声をかける。
「あとこれ」
ヒメが戸石の口に、四角にまいたクレープを差し込む。
具材はハムとチーズだった。
「ハムとチーズでおかずクレープなんだけど」
「これ、お菓子用の生地か? やたら甘いんだが」
「あー、そっか。ごめん」
「味見してないのか……」
「あたし、まだ味わかんないから。そのうち戻ると思うけど」
コロナの後遺症なのだろう。それはともかく、である。
戸石はテーブルの上にあるスマホを取って、電話をかけようとした。しかし、画面は暗転したままである。
「画面がつかないんだが」
「電池切れじゃないの」
極めて妥当な指摘に、戸石はクソっとクレープを全部口に放り込み、家の電話の子機を取る。
そして、電話をかけようとしたところで指が止まる。
「電話番号がわかんねえじゃんかよ!」
戸石の一連の動きは完全にコントだった。
「はい、充電」
見かねたヒメが自分のバッグからモバイルバッテリーを差し出す。
戸石は自分のスマホにヒメのモバイルバッテリーを指し、電源を入れようとするが、起動に時間がかかり、なかなか電話できない。
「あー、もう」
待ちきれない戸石は封筒を放り投げてしまう。
「何やってんの、おとーさん。朝から騒いで」
降りてきたあきらがリビングに顔を出す。
「先生だよ、先生! 先生が持ってきてくれたんだよ」
ヒメは床に落ちた封筒を手に取り、中身を確認する。
「へー、コロナにかかった人対象に手当金なんてあるんだ。ま、当然だよね、出歩くなって要請されたんだものね。陽性だけに!」
ヒメは勇敢に言い切った。
ようやく戸石のスマホが立ち上がる。
戸石は通話アプリから臼井の電話番号を呼び出し、電話を架ける。
しかし、呼び出し音はなく、返って来たのは、この電話番号は現在使われておりません。というアナウンスだけだった。
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