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こたつの中央にはぐつぐつと煮えている鍋。
「かんぱーい!」
その上でこつんと音を立てる、ビールが入った三人のグラス。
戸石、あきら、ヒメはグイっとそれぞれグラスをあおる。
「かーっ、うめーっ」
一気に飲み干して、うなるヒメ。
「お前もすっかりおっさんだな」
「いいじゃない。そこはようやく大人の味がわかるようになった。って言ってよ」
「でもよかったわ、みんな元気になって」
それぞれ鍋を二人に取り分ける、あきら。
「まあな、二人とも大丈夫だったのか」
「あたしは普通の風邪っぽい感じだった。あと、ちょっと熱が出たくらい」
「え、あんた。熱はなかったっていったじゃない」
聞いてない、とばかりにあきらがヒメを問い詰める。
「実はちょっと出たの。ただ熱の出方がちょっと違ったから。え、ここで熱出るの?みたいな感じだった。寝て起きたらすぐおさまったけど」
「あー、俺もそれあった。普通だったら、ここでもう治るだろうな。ってとこで来るんだよな。しかも火にかけたみたいにグワーっと」
「そうそう、そうだった。やっぱり普通の風邪とはちょっと違ったよね」
「……やっぱり、そうよね。あたしもそうだったわ」
ぼそりとつぶやいたのは、あきら。
「……は?」
「おかーさん、陰性だったよね……?」
呆然とする戸石とヒメ。
「うん、だってアタシがかかったの、二人より前だから」
「いやいやいや、そんな衝撃の告白いらないから!」
「どういうことだよ、かーちゃん!」
二人は猛然と抗議する。
「どうもこうも……、その証拠にアタシ、陰性だったじゃない。たぶん、その時にかかってたのよ。一回かかれば耐性?できるのよね」
「免疫、ね……」
ヒメの脱力したつっこみ。
「でも、いつ頃かかってたんだよ?」
「年末のちょっと前ぐらいかな。やたらなんか全身が筋肉痛になったときがあったのよね。それと変な夢を見たの」
「……夢?」
「そう、変な黒いタイツの人とリングの上でプロレスしてるの。カニみたいな飾りのついたマスクつけて」
両手を構える、あきら。
「で、なぜかあじゃぱー。とか言って逃げ回ってばかりだったから、蹴って殴ってとっ捕まえて、リング中央で締め落としたら、目が覚めたの。それがなんか熱っぽかった日だったから、よく覚えてるのよね。夢から覚めたら治ったから忘れてたけど」
「ちょっと待って。プロレスって殴ったり蹴ったりしてもいいの?」
「作法があるのよ。ケガさせないように、ね。それに悪党に人権は無いわ」
あきらは、ヒメの問いにぐっと力こぶで応える。
「……とりあえず乾杯するか」
困った戸石はヒメのグラスにビールを注ぐ。
「じゃあ、三人のコロナ全快祝いに、かんぱい!」
三人は再び、グラスを合わせるのだった。
宴もたけなわとなり、鍋の具材も大半が無くなっていた。
「でもさー、みんなほんと勝手だよね。自分勝手すぎ」
ヒメはだいぶアルコールが回ったのか、赤くなった顔でぐだぐだと絡み始めていた。
「なんだ、友達と何かあったのか」
「フカザワ君よフカザワ君」
あきらが戸石のグラスにビールを注ぐ。
「どうせまたお前が何かやらかしたんだろ」
「はぁ? なに言ってんの、やらかしてんのはいつだってアイツの方よ」
ヒメは声高に主張する。
「彼は礼儀正しい男じゃないか。俺にもコールセンターの仕事を紹介してくれた」
「はあぁ? どこが? だまされてるよ、それ。アイツ、ほんと猫かぶりなんだからさ」
ヒメはぐいっとグラスを飲み干した。
「アイツのせいでどんだけアタシが振り回されたか。ねえ、おかーさん」
あきらは答えずにヒメのグラスにビールを注ぐ。
「おい、あんまり飲ませない方がいいんじゃないか」
「いいじゃない、今日くらい」
珍しいあきらの返答だった。
「メニュー相談とかいっても最初だけでさ、あとは友達バンバン連れてきて、飲み会会場だと思ってさ。あったまくるわ」
戸石もそのヒメの言い分には心当たりがあった。
「うかつに人に助けを求めるもんじゃないわね。わかったでしょ」
そして、あきらのその言葉で、戸石もうっすらとだが事情が呑み込めた。
「聞いてよ、最後の方なんか後輩とか教師まで連れてきてたんだよ! オカザキとかカジタとか。酒だけじゃなくタバコまで遠慮なく吸わせようとするしさ。この店を自分の店気取り」
「……彼がそんな人間だったとはな」
戸石の目にはフカザワが礼儀正しい人間に見えていただけに、今のヒメの話は悲しかった。
「フカザワ君とは連絡とったの?」
「向こうから連絡来た。おとーさんがコロナでホテル療養になって、うちらも二週間自宅隔離で弁当買ってた人に説明の電話をしたじゃん。それを聞きつけたみたい」
「なんて言ってきたんだよ」
「俺達の事は黙っていてくれ、だって。まじありえないわ。連中がうちにコロナ持ち込んだ可能性だってあるのにさ」
「保健所の人には黙ってたの?」
「言わないでくれ。と言われたことは伝えさせていただきました」
戸石はビールを噴き出した。
わが娘ながら、良い根性をしていると思った。
「ま、このご時世、いくらでもあるわよね。そんな話」
「そうだな。路上で飲んでる若い連中もいっぱいいるしな」
戸石とあきらは飛び散ったビールを拭き取る。
「ちょうどいいわよ、縁が切れて。もともと切れてたけどね。そういう意味ではコロナに感謝だわ」
「コロナに感謝……か」
その言葉に、戸石は臼井との最後のやりとりを思い出す。
「そうそう。また給付金だっけ、あんた言ってたじゃない」
「ああ、飲食の休業支援? まだ受付始まってない」
「え、また金もらえるのか」
戸石は話題に飛びついた。
「そうだよ。今度うちらみたいな飲食には日数単位で出る。あと飲食以外でも毎月いくらか支給されるのも始まるみたい」
「まじかよ、そいつぁ助かるな」
「おとーさんもこれで働きに出なくて済むわね」
「またコールセンターに行けば? 人助けしたいんでしょ」
「行くわけないだろ! さんざんな目にあったんだぞ、もう二度とごめんだ!」
「よく言うわよ。最初は人に希望を与えることがなんとかかんとか言ってたくせにさ」
「やめろ、やめてくれ」
戸石は頭を抱える。
それは戸石にとって、あまりにもつらい記憶だった。
「希望というのはね、誰かから与えられるものじゃなく、自分の手で勝ち取るものなのよ」
宣言する、あきら。
戸石もヒメも何も反論ができなかった。
「……ま、なんだかんだ言って、政治家の人達もちゃんとやってるよね。事業者給付金だって、うちらにきちんと出してくれたし」
「……大人になったな、ヒメ」
ヒメの言葉に戸石は素直に感心した。
「伊達にビールを飲める女になってないわ」
ヒメは胸を張った。
「そういや、何で事業者給付金、二か月もかかったんだよ。普通にやれば二週間でもらえたっていう話だぜ?」
それは臼井も言っていた話である。
「それは、その……あの……」
ヒメは両手でおなかを隠し、身体を左右に振る。
「この子、自分の口座にお金いれようとしてたのよ」
「はあああ? お前、何やってんだよ! 申請者は俺なんだから、お前の口座にしてたら不備で返されるに決まってるじゃねえか」
「いいじゃん、別に。家族なんだからさ。ケチ臭いこと言わないで。自分の口座に6桁の数字が並ぶの見たかったんだもん」
「まさか、かーちゃんも知ってたのか」
「うん、聞いてた。でも最終的におとーさんの口座に振り込まれたじゃない」
「当然だろ! お前みたいなやつがいるから、みんなが困るんだよ、細かいことまで指摘されて!」
「いやー、お国の人達もきちんと制度考えてやってるって知れて、ほんとによかったわ。コロナに感謝。あたしみたいなバカでもちゃんとできたんだもん」
ヒメはガハハと笑う。
「っざけんなあああああ!」
戸石の絶叫は家中にこだました。
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