ビジンメガネ

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「お前には明確なビジョンがない!」と美人画家は言われて首になった。いきなり未来を閉ざされ絶望した美人画家は真っ暗闇の世界に希望の光を求めるためピジョン山の眼鏡師匠を訪ねた。ピジョン山には展望台がありメガネマーケットには様々な未来が見えるピジョン眼鏡、ピジョン鏡、ピジョン望遠鏡が在庫していた。ピジョン山に一条の光明を見出した美人画家はピジョン山から吹き下ろすビジョンおろしに苛まれ風前の灯火になっていた。ピジョン山の御来光は感受性の強いお前を(めしい)にするだろう。眼鏡師匠は予言した。 その通りだわ、と美人画家は針刺すような痛みを瞼でかみしめた。腰を曲げ落涙の痕を点々としていると足が宙に浮いた。後頭部をしたたか打ち付け意識が瞬くとじっとりした湿気を背中に感じた。お母さんのような優しい瞳が見下ろしていた。 「あらまあ貴女…」 銀髪がちょうどよい具合に天窓をさえぎりにびいろにかがやいている。美人画家の目にはやわらかくて優しい光だった。 老婆は光害と性的な迫害から逃げるようにして山麓にたどり着いた。聞けば不幸な生い立ちだ。幼い兄妹を養うために売られ流れ流れて学識経験者の女中として買われた。主人は優しくしてくれたし読み書きを教えてくれた。やがて論文の清書や簡単な検算を任せられるようになり主人が大学の研究室に居を移した頃にはかけがえのない右腕になっていた。しかし女であることを理由に様々な不遇をかこった。主人が志半ばで病に倒れるとこれ幸いとライバルが研究成果と彼女を奪いに来た。そして命からがらピジョン山へ逃げ延びた。彼女はここで主人の恩に生涯をささげて報いることにした。師が望んだ物を臨むため。 話を聞くうちに親と子ほども歳の離れた女が互いに絆を感じ始めていた。それは美人画家が欲していたビジョンのかけらでもあった。彼女もまた主の求むるままに尽くしてきた。しかし画廊業界の経営は日に日に陰りを深めていた。絵は静止している瞬間の情景でしかない。いくら技法を凝らして動きを盛り込もうとも継続と展開を見せてくれない。ピジョン山は未来を見せてくれる。それでも体力と費用と時間に恵まれた者だけの旅路より筆先に垣間見える可能性を人々は求めた。美人画家は旅人から見聞した世界の麗人を視覚化して報酬を得てきたが所詮は百聞は一見に如かずの敵ではない。絵の売れ行きは落ちた。 美人画家とピジョン・マウンテンの天文学者の間には、一組の恋人同士、少なくとも道を違えた恋人同士が加わっていたのだ。
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