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第8話 ホッジ公との謁見
謁見の間の扉が、重たい音を立てながら開く。
兵士たちが剣を掲げて迎える中、カリスト、ミレーナ、トゥーリオの三名は粛々と進み、玉座の前で片膝をついた。
一緒になってラドバウトも膝をつく中、カリストが静かに口を開く。
「閣下。カリスト・シヴォリ以下二名、捕虜を連れてただいま帰還いたしました」
彼の言葉を聞いて、玉座に腰掛けて肘置きに傲慢に肘をついた、60手前ほどのやせぎすの男性がゆっくりと笑みを浮かべる。この男性こそ、ホッジ公国初代君主、バルダッサーレ・ホッジ1世その人である。
バルダッサーレがひざまずくカリストを緋色の目で見ながら、ゆっくりと頷いて言葉を発する。
「ご苦労。よくぞ生きて戻った。あとで褒美を取らすゆえ、今日は三人とも、ゆっくり休むがいい」
「はい……ありがとうございます、閣下」
バルダッサーレの言葉に、冒険者三人は深く首を垂れた。その礼儀正しい立ち振る舞いに、満足した様子でバルダッサーレが言葉をかける。
「ふむ。無様な姿で帰ってくるかと思いきや、なかなかどうして、見られる男になって帰って来たではないか」
そう話しながら、バルダッサーレの口角が小さく持ち上がった。彼の物言いに、カリストがますます頭を下げる。
やはりと言うべきか、この主君はカリストが何の成果も挙げられずに帰国すると思っていたのだ。それも恐らくは、無言の帰国を。
予想していたことではある。だが、実際にそれを示唆されることの、なんと空しいことか。ラドバウトはカリストたち三人の後方で歯噛みをした。
その彼へと、バルダッサーレが目を向ける。
「それも、貴様の力があってのことか? 『竜頭の翁』」
「……」
ラドバウトは答えない。答えるべきではない。何故なら自分は、「捨て駒になる勇者の命を救った」。おまけに手ずから教育を施したのだ。
そんなことを認めて、バルダッサーレがどんな反応をするか。喜ぶにせよ、けなすにせよ、ラドバウトにとっていいことではない。
と、そこに。顔を上げたカリストが意を決して声を上げた。
「恐れながら閣下。ラドバウト先生は、無謀な挑戦をしようとした私達を止めてくださいました」
「国に帰還するまでの間、先生は熱心に稽古をつけてくださって、礼儀作法も教え込んでくださいました」
トゥーリオも一緒に声を上げる。その言葉に、ラドバウトは目を見開いた。
どうやら自分は、随分とこの三人に慕ってもらっていたらしい。たった数日、訓練を付けただけだというのにだ。
ミレーナも顔を上げた。懇願するような目をバルダッサーレに向ける。
「先生が魔王軍の重鎮だということは、重々承知しています。ですがどうか……寛大な措置を……」
すがるようにそう言いながら、ミレーナは深く頭を下げた。カリストもトゥーリオも、一緒に頭を下げる。
何と言うことだろう。この勇者たちは、自分が捕らえた魔物の助命を懇願しているのだ。横に居並ぶ兵士たちが息を呑んでいるのが分かる。
果たして、バルダッサーレはふんと鼻を鳴らして言った。
「先生か。魔王の傍に長らく仕えた魔物のくせをして、冒険者の虜囚となって生きて捕らえられた挙句、その冒険者に恩を売って懐柔したか。無様なものよ」
その言葉は勇者たちにではない。ラドバウトに対してのものだ。彼の無様をあげつらって、バルダッサーレは冷たい視線を自国の勇者に向ける。
「勇者カリスト、考えるまでも無かろう。こやつは人の言葉を流暢に操る。人間界の掟も良く知っておる。だが、所詮は魔物なのだぞ」
「くっ……」
その容赦も慈悲も無い言葉に、カリストが言葉を漏らした。取り付く島もない。
悔しさを露わにした勇者から目を逸らしたバルダッサーレが、再びラドバウトに視線を当てる。
「さて、『竜頭の翁』。貴様は無様を晒しながらも生きて、わしの前に居る。その命、わしの手のひらの上だと重々理解していような」
「……無論でございますとも、ホッジ公」
観念したように、ラドバウトも返答を返す。彼の顔をしばし見下ろして、バルダッサーレは玉座の背もたれに身を預けた。そのまま指を二本立て、首のところで横に動かす。
「どうしてくれような。貴様の裸体を柱に縛って立てれば、魔物の襲撃は止むか? それとも貴様の首を叩き切って、杭に突き刺して立てた方が効くか」
「閣下!」
その発言に、たまらずカリストが声を上げた。
裸に剥いて晒し物にするか、断首してその首を晒すか。いずれにせよ、ラドバウトという存在をこれ以上なく辱める行いだろう。悲痛な声を上げるカリストの気持ちも分かる。
そうだ、魔王軍に長らくいた魔物に対する反応など、これが普通だ。殺すか、辱めるか。その上でどう魔王軍の勢いを削ぐことに使うか。こんな状況で「殺さないでほしい」とは、虫が良すぎるのやも知れない。
だが、しかし。ラドバウトは屈しなかった。首を垂れながら発言する。
「恐れながら、公よ。そのいずれともなりますまい。それどころか、わしを手中に収めることそのものは魔王軍にとって、何の痛手ともならないことでしょう」
「何?」
彼の言葉に、バルダッサーレの笑みが消えた。その疑問に叩きつけるように、ラドバウトは真実を突き付ける。
「何故ならば。先般、わしは鬼哭王ローデヴェイグ直々に、魔王軍からの追放を言い渡されました故に」
その言葉に、謁見の間に居並ぶ誰もかれもが目を見開いた。バルダッサーレも、カリストも、ミレーナとトゥーリオも。そして兵士たちも、全員だ。
「先生!?」
「ラドバウトが魔王軍から、追放されただと……!?」
信じられないと言わんばかりにトゥーリオが声を上げ、同時に兵士たちが大きくざわめきだす。そのざわめきの中、身を乗り出したバルダッサーレが、驚きを露わにしながら口を開いた。
「……誠か?」
その問いかけに、ラドバウトはゆっくり頷いた。
間違いなく真実だ。今更隠す必要もない。否、隠してはならない。それが自分の命を繋ぐ切り札になると知っているからだ。だから、包み隠さずに彼は言う。
「既に後任の側近が、鬼哭王の側についております。じきに情報が行き渡ることでございましょう。わしはただの、老いさらばえた竜人に過ぎませぬ」
その言葉に、バルダッサーレはますます身を乗り出した。
魔王軍に38年間休まず務め、時には人間に化けて間者もこなした、魔王軍きっての重鎮。それが、全ての資格をはく奪され、一介の魔物に堕ちるなど。
信じがたいというのも無理はない。事実、バルダッサーレはすっかりラドバウトを殺そうという気がしぼんだ様子だ。
「……なんと。では、何故カリストを懐柔してまでわしの前に姿を見せた」
問いかける彼に、ラドバウトはうっすらと笑みを浮かべた。落ち着いた声色で、淡々と告げる。
「目的は二つございます。一つは、晩年を安心して暮らせる場所を得るため。わしは老いておりますが、まだ当分は生き続けられます。ようやく得られた真の自由を、争いの中で失うことは避けたい」
その発言に兵士たちのざわめきが一層大きくなった。
魔物が、人間の居住区域に姿を見せて、庇護を求める。歴史の浅いホッジ公国では当然のこと、人間全体の歴史でもなかったことだ。神獣が人間の町の近くに居を構え、気ままに町に訪れるのとは訳が違う。
そして次の言葉が、彼らを驚かせる決定打となった。
「そして、もう一つ。鬼哭王ローデヴェイグに一矢報いるため」
「なんだと……!?」
彼の発した言葉を聞いて、バルダッサーレは目を見開いた。
『竜頭の翁』ラドバウトが、鬼哭王ローデヴェイグに弓を引くなどと。後世の歴史家が見たら笑い飛ばしそうなくらいに突拍子もない事態だ。
その認識はバルダッサーレにとっても間違いがない。呆れた様子で口を開いた。
「馬鹿な。貴様がどうやって、今の魔王軍に一矢報える」
その問いかけに、ラドバウトだけではない、カリストたちも笑みを浮かべた。ここからが、彼の「作戦」の本題だ。
「ええ、勿論わしの力では、今の鬼哭王はおろか後虎院のいずれにも、その配下の首にさえも手は届かないでしょう。それだけ彼奴らは今、勢いに乗っている」
そう、目を伏せながら話すラドバウトが言葉を区切る。場の雰囲気を作ってから、核心に触れた。
「……ですが、わしではない、冒険者の力なら?」
そう発したラドバウトの目と、カリストたち三人の目が、きらりと輝いた。
ここが勝負どころだ。ここで興味関心を引けなければ、作戦は失敗に終わる。だがラドバウトは、カリストたちは十分に場を作り上げた。ここまでしたならば、あるいは。
そしてしばし、考える姿勢を取っていたバルダッサーレが口を開く。
「……詳しく話せ」
話の先を要求する言葉。それを聞いた四人は、内心で強く拳を握ったのだった。
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