第0話-1 突然の解雇通告

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第0話-1 突然の解雇通告

 鬼哭王(きこくおう)ローデヴェイグ。  トゥットと呼ばれる世界の名もなき大陸、その全土に住まう魔物を統べる、当代の魔王(・・)が彼である。  魔王としての在位年数、実に26年。それだけの長きに渡ってローデヴェイグは王座に君臨し、襲い掛かってくる冒険者を撃退し、魔物たちの王としてあり続けているのだ。  そんな魔王には、側近となる魔物が五頭いる。  『黒曜(こくよう)(きば)』ヴィレム。  『(あお)(つめ)』アルナウト。  『黄金獣(おうごんじゅう)』ブレヒチェ。  『銀翼(ぎんよく)』フェベ。  『竜頭(りゅうとう)(おきな)』ラドバウト。  魔物として抜きんでて強力な力を持つヴィレム、アルナウト、ブレヒチェ、フェベの四頭は魔王軍幹部である「後虎院(ごこいん)」として、知略と指導力に優れ、ローデヴェイグが魔王の座に就くよりも前から魔王の側近を務めてきたラドバウトは文字通りの側近として。  そうして陰から日向から、鬼哭王の統治を盤石(ばんじゃく)のものとして、襲い来る人間の冒険者を退け、殺してきた。  そんな、魔王軍にとっては平和な時が続いていたある日のこと。竜人ラドバウトはローデヴェイグに呼び出され、魔王城の王の間に膝をついていた。 「偉大なる鬼哭王、此度(こたび)は何用でございましょうか」  側近として長く仕えてきたラドバウトを、魔王は玉座の上で肘置きに肘をつきながら見やる。そして冷たい眼差しを向けながら、彼は口を開いた。 「『竜頭の翁』ラドバウトよ。そなたは我の即位の頃、いや先王シモンの頃より、魔王の忠実なる側近として長きに渡り王座を支えてきた。その働き、誠に大義である」 「は……勿体のうございます」  王からの寛大な言葉に、ラドバウトは深く頭を下げる。だが、その直後に王の口から発せられた言葉に、彼は己の大きな耳を疑った。 「ついては、後虎院と協議を行った上で、そなたの働きに免じて暇を出すことにした(・・・・・・・・・)」 「は……!?」  暇を出す。その言葉にラドバウトの頭が、跳ね上げられるように前を向いた。  ここが偉大な王の前でなければ、彼は思わず立ち上がっていただろう。それほどまでにこの言葉は、彼にとって衝撃的すぎた。 「お待ちください王よ、今……今、なんと」  ラドバウトが我が耳を疑ったのも当然だろう。26年間、いや、先代魔王の霊獣王シモンの頃から数えれば38年間。彼は一日たりとも休むことなく、魔王の側近として働き続けてきたのだ。それが、ここにきて突然の休暇。  魔王軍にとっての「休暇」は文字通りの休みではない、永劫に続く休暇、事実上の「追放(・・)」だ。  呆れた顔をしながら、ため息混じりにローデヴェイグが言う。その表情には長年の功労者への感謝の気持ちなど欠片もない。 「暇を出す、と言ったのだ。側近の後任も既に内定している。処刑とならないだけ有り難いと思え」  王の言葉に、ラドバウトの目がますます見開かれた。  追放どころか、後任まで既に決まっているという。その上処刑などと。何でそんなことに、と思うのも当然だ。  と、玉座の後ろで空間が揺れる音がする。見れば、後虎院の四名が投影魔法で姿を見せていた。漆黒の魔獣の姿をしたヴィレムが、醜悪な笑みを浮かべながらラドバウトを見つめて言った。 「残念だったねぇお爺様、アンタはもう、ヴェイグ様にとって用済みってことなんだ」 「ヴィレム卿、口を慎みなさい。陛下のお心遣いを無下にして何とします」  冷淡な声色で、巨鳥のフェベがヴィレムを睨みつける。彼の軽口をいさめはするが、その言葉を否定する様子は一切無かった。  そしてヴィレムの容赦のない物言いに、ラドバウトが気色ばむ。 「用済みですと……!?」  用済み。38年間、献身的に魔王に仕えてきた自分を指して用済みなどと。  そのあまりにもあんまりな扱いにラドバウトが怒りをにじませるが、鎧に身を包んだ獣人の姿をしたブレヒチェが、一礼しながら彼に言う。 「その通りです、ラドバウト殿。貴方の教えと鍛錬は貴方の教え子たちを強く、優秀にした。おかげで魔王軍はかつてないほどに強大です……ですが、貴方自身は(・・・・・)?」  その容赦ない問いかけに、視線を逸らして歯噛みするしかない竜人だ。  彼は知略と指導力にかけては魔王軍の中でも抜きんでている。その頭脳で魔王を裏から支えてきたのだが、本人の戦闘力で言えば、どうしても他の幹部からは見劣りしてしまう。加えて老年という問題がのしかかる。  美しい竜の姿をしたアルナウトが、冷ややかな視線をラドバウトに向けた。 「ラドバウト様、貴方は弱い。力に優れるわけでもなく、魔法に秀でるわけでもなく、あるのは献身的な姿勢と、後進を教え導く才覚のみ。その二つとも、貴方の一番の生徒がしっかり受け継いでいらっしゃる。貴方は最早、魔王軍にとって唯一無二の存在ではないのです」  淡々と、動かしがたい事実を突きつけられて、ラドバウトはがくりと肩を落とした。  確かにそうだ。参謀としても側近としても、自分を超えるくらいの人材が彼の生徒から何人も出てきている。加えて彼より若く、彼より戦闘もこなせるとなれば、ラドバウトに残るのは長く魔王に仕えた、という経歴の長さだけだ。  ここまで言われては、彼も返す言葉がない。ゆるゆると頭を振って、もう一度魔王に頭を下げた。 「そうでございますか……誠に、誠に残念でございます、偉大なる鬼哭王、後虎院の皆様」  恭しく頭を下げる彼に、ローデヴェイグがふんと鼻を鳴らして言う。 「来たるべき時が来たのだ。老いさらばえた老骨(ろうこつ)を、いつまでも抱えていられるほど魔王軍は慈悲深くない。戦う力があれば勇者相手の捨て駒も務まろうが、そなたにはその価値もない。せいぜい、残り僅かな余生を惜しみながら、慎ましく城の外で朽ちるがよい」  魔王の忖度(そんたく)の無い最後の言葉に、ラドバウトはますます深く頭を下げた。  否、処刑せずに放逐(ほうちく)することそのものが、最大級の忖度で、最大限の譲歩なのだ。だから彼も、抵抗の素振りを見せずに平身低頭の姿勢を取る。 「かしこまりました……長い間、お世話になり申した。ですが恐れながら、一つよろしいか」 「何だ、手短に言え」  だが、それでも。一つだけ、彼には言いたいことがあった。顔を僅かに上げると、ローデヴェイグの不機嫌そうな顔が見える。  何か言おうとしてくるとは、後ろに控える後虎院の面々も思わなかったのだろう。驚きに目を見張りながらも、その瞳には侮蔑の色が見て取れる。 「おいおいお爺様、この期に及んで命乞いでもしようっての?」 「見苦しい真似は慎まれた方が良いかと思いますよ、ラドバウト殿」  ヴィレムとブレヒチェが明らかに嘲りの色を見せる中、ラドバウトはしっかと頭を振った。 「滅相もない。これが最後のご献言(けんごん)でございます」  これが最後の、本当に最後のご奉公。その面持ちで、ラドバウトは目を見開きながら、眼前の王とその奥の幹部たちを見つめた。そして、淡々と発する。 「私は先王シモン様の頃より、魔王軍の土台を支えてまいりました。魔王軍のことは後虎院のことから一兵卒まで、魔王様の寝室の間取りからこの城の積まれたレンガの数まで、つぶさに把握してございます……それが人間側に流れる(・・・・・・・)可能性は、賢明なる皆様のこと、もちろん考慮してございましょうね?」  自分はこの魔王軍のことを誰よりも理解している。その自分を殺さずに放逐する。それがどれ程の事態を引き起こすか、予想できないほどラドバウトは耄碌(もうろく)していない。  彼が世に放たれることが、どれほど魔王軍に影響をもたらすか。冒険者に影響をもたらすか。分からないわけではないはずだ。  果たして反応は如何ばかりか。伺うも、誰もかれも眉一つ動かさない。アルナウトがすんと鼻を鳴らした。 「無論ですとも。ラドバウト様のお手持ちの情報がいくらあろうと、ラドバウト様が万一人間共に(くみ)することがあろうと、我々に恐れる必要はありません」 「もっとも、長きに渡って魔王軍の中枢に居座り続けたラドバウト卿を、人間共が容易く受け入れるとは、思いませんがね?」  フェベも嘲笑うようにそう言った。ヴィレムなどは笑うのを堪えきれないといった様子で、肩を震わせている。  それを聞いて、この賢明な老竜は確信を持った。彼らは、心の底から影響などない、と思っているのだ。静かに笑みを浮かべながら、もう一度頭を下げる。 「なるほど……ええ、なるほど。このラドバウト、ようく理解いたしましたとも」  悲しくもあるが、同時に嬉しくもあった。38年一切休まずに勤め上げた自分を超える人材を、自分の手で育て上げることが出来たことの、何よりの証左なのだから。教育者として、これほど喜ばしいことがあるだろうか。  今度はもう頭を下げることはしない。すぐに顔を上げてラドバウトは立ち上がった。用は済んだとばかりにローデヴェイグがしっしと手を振るが、好都合だ。 「()く失せよ。我も暇ではない」 「ええ、老骨は潔く失せましょうとも。再び相見(あいまみ)えることもございますまい」  最早未練も何もない。後のことは自分の教え子がしっかり引き継いでくれるだろう。  ラドバウトはくるりと(きびす)を返した。すたすたと迷いない足取りで王の間の出口、大扉まで歩いていく。そして、扉に手をかけてぐっと手前に引いた。  重厚な音を立てて開かれる扉。その向こうには魔王城の大広間が見える。この風景を目にすることも、もう二度と無いだろう。  扉の前で振り返った彼は、頭を下げることなく言った。 「では、皆様方。なにとぞ、ご健勝をお祈り申し上げます」 「貴方も。穏やかに最期を迎えられることをお祈りいたします」  ブレヒチェが静かな声色で、最後の言葉を投げかけてくる。その言葉にそっと微笑みながら、開けた扉からラドバウトは静かに出ていった。
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