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マスター
見たこともない鬼気迫る顔に、僕は固まる。
「手紙は持っているかい?」
「いえ、今は」
「彼に上着を着せなさい」
医師の命令に、看護師ロボットが椅子にかかっていた上着を僕に着せる。
枕元の封筒を見つけ、鳶色医師はそれに何かを入れて僕の両手に握らせた。
「靴は履いてるね。べルトを締めたまえ。これからかなり荒い運転になる。
君は彼に付いていてくれ」
「了解シマシタ」
彼女が僕のすぐそばに跪くと、両方のふくらはぎが自動的に開く。中から出現した金属製の棒の先端が蛸のように割れ、しっかりと床に固定された。
鳶色医師が僕のシートベルトを確認する。
「じゃあ、後でな」
「ドクター!」
背を向けた彼が止まった。
「あ‥‥‥」
こんな本能無ければいいのに。這い上がってくる怖ろしい予感が止められない。
折れそうなほどに、抱きしめられた。
「優。私は」
ドォォ――ンッ!
えっ?
何が船に当たった?
容赦のない衝撃。
耳が、腹が裂けるような。
気がつくと、看護師が僕の耳孔を塞ぎ、身体を包んでいた。
思考が戻る。
「ドクター?」
堅牢な船内に打ち付けられたのだ。夥しい血の中で、彼はもがきながら起き上がろうとしていた。
「ドクターッ! ドクターッ!」
ベルトを外そうとする僕を看護師ががっちりと縫い留める。
「離せよっ! ドクターッ」
「‥‥‥いかんぞ、絶対に離すなよ」
「了解シテイマス」
「えらいぞ‥‥‥命令、最優先事項、加える‥‥‥優を、護れ!」
「命令。追加シマシタ」
「最終命令‥‥‥追加」
「ドウゾ」
「マスターを、『Yu』に、変更せよ」
「!?」
「マスター名『Yu』に変更シマシタ」
「よし‥‥‥」
ドクターは背中を向けたまま辛うじて立ち上がる。足元にパラパラと何かが落ちた。
「ドクター‥‥‥?」
「君、じ、逢えでよがた‥‥‥」
歪んで閉まらなくなったドアの隙間に、彼は身体を押し込んだ。
廊下でどさりと音がする。
「ドクターッドクターッ」
唸り声でもいい、答えて。
何を躊躇していたんだろう。何を遠慮していたんだろう。
あなたは、今の僕の
「おとうさんっ」
ドン!
扉を蹴る音だった。
届いた‥‥‥。
「最優先事項を実行イタシマス」
「え?」
聞き返したとたん、全身が総毛立つ。
ずっ、ずぅぅ‥‥‥ん‥‥‥ご、ご、ごぉぉぉぉぉぉ
深い‥‥‥! 船のすごく深いところから、何かものすごく大きなものが来る‥‥‥
「警視長! ドクター湊、やはりこちらの呼びかけには応じません」
「仕方ない……。ではもう一度、威嚇射撃を」
「地上から連絡が入りました。刺された所長と研究員たちは、全員命に別状はないそうです」
「そうか」
警視長は再度マイクを手に取った。
「ドクター湊、話を聞こう。どうか船を地上に下ろしてくれ」
「応答無し。やはり、最初からスイッチを切っていると思われます」
病院船が高速で移動し始めた。
「止まりなさい! ドクター湊、止まりなさい!」
操縦員が顔色を変えて叫んだ。
「退避します!」
「何?」
行きつく場所を想定していたのだろう。
病院船は、港も惑星も無いところで大破した。
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