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首都壊滅への序章
5月16日、14時を少し回った頃。
国道をひた走り、鶴ヶ島私立中学校を抜けて一本松駅を過ぎる。
一昨年、貯蓄を叩いて一括購入した自慢の愛車は赤のミニクーペ。
地方新聞記者の取材には、小回りが利く軽自動車、もしくは250CCのバイク、果ては、取材対象者を連れ出せるサイドカー、これらの免許取得が必須である。
新人記者らをからかうように言った田辺の台詞だった。
芳賀友子は根っからの埼玉っ子で、県立の高等学校を卒業すると直ぐに、埼玉日報編集局に就職が決まった。異例の大抜擢だと社内でも噂になった。
当時の埼玉日報は、民事再生手続きを申請したばかりで、存続自体が危ぶまれていた。そんな会社への就職を希望する若者は皆無で、芳賀友子の存在は、設楽会長の目にも留まることとなったのだ。
そうまでして芳賀が新聞記者に拘った理由は、憧れよりも苦痛を和らげる為、自分に施した最善の処方箋といえた。
パニック障害を抱える芳賀にとって、通学時の満員電車は地獄だった。
突然、喉が締め付けらる痛みと共に、激しい動悸と背中の張りに顔は青ざめ、痙攣した後に気を失う。思春期の女の子にとってそれは、恥辱以外の何ものでもない。
救急搬送される途中、知らない男にも怒鳴られた。
「みんなの迷惑なんだよ、とっとと降りろよ! 会社に遅刻するだろうがよ!ボケ!」
浴びせられた心ない言葉がトラウマになった芳賀は、益々電車を避けるようになって、泣きながら母親に学校までの送迎を懇願した。
しかしそれが、親子の絆を急速に深める結果となるとは夢にも思わなかった。
これまでの悩みを全て打ち明け、恋愛の話もした。
アイドルやファッションの話、将来の夢、病気のこと、母親はいつでも優しい眼差しで聞いてくれた。
「就職するなら都心よりも、地元になさい」
そう言ってくれたのも母親だった。
自宅近くのコンビニで見つけたフリーペーパーで職を探し、自動車通勤が可能な会社へ、手当たり次第に履歴書を送る日々が続いた。
そうして、やっと面接にこぎつけられたのが埼玉日日新聞社で、その場には会長の設楽も同席していた。
あの日からずっと、愛車のダッシュボードには、運命を変えたフリーペーパーがお守り代わりに収められてある。
辛い時は手に取って、紙の匂いを嗅ぎながら「きっと大丈夫」と、心に言い聞かせて、今にもくじけそうな自分を奮い立たせるおまじない。
そんな勇気をくれる魔法は、今回に限っては通用しなそうだと、芳賀は感じていた。
神田川で爆死したテロリスト、李・大雷の父親と顔馴染みになった今、彼は犯罪者の親としての心根を、涙ながらに芳賀にぶつけてくる。
自分の父親と同じ世代の男が、肩を震わせて咽び泣く姿を目の当たりにするのは、芳賀にとって耐えられない時間だった。
存在を否定される時代に生きる恐怖・・・。
近隣住民や、匿名の人物からの嫌がらせに苦しむ毎日に、大雷の父親は憔悴しきっていた。それでも、帰り際にはいつもお土産をくれた。
「どうせ誰も来ないから・・・」
くしゃくしゃの笑顔で、小籠包の包みをくれる大きな手には、愛おしさと淋しさが混在していた。
高麗川のほとりの、中華料理店へ向けて車を滑らせる。
店の規模の割に広すぎる駐車場。
芳賀が初めて此処を訪れたのは、大規模災害緊急事態宣言中の3月のことで、アスファルトの窪地に出来た水溜りには氷が張っていた。
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