余話6 佑崔と壮哲

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余話6 佑崔と壮哲

時期は余話5を挟んだ前後です。 一部、余話5の後日談的なものになっています。 ******************** 「そう言えば、確認していただけましたか?」  執務の少し空いた時間に中庭に出て素振りをしたことによって眉間の皺が取れた壮哲に、佑崔が手巾を渡しながら言った。  壮哲は汗をぬぐいながら目を(またた)かせる。 「何の話だ?」  全く心当たりがないという顔で佑崔を見る。 「杜氏のご息女の文莉殿から贈物が届いていますから、一度ご覧ください、とお願いした件です。お忙しいとは思いますが……」  本来、王が一々家臣から進上されたものを検分する必要はない。  しかし、佑崔は、壮哲へ女性からの贈物などがあった場合は直接知らせることにしていた。  王になる前から、青家の嫡男であり羽林軍将軍でしかも見目も良い壮哲は、娘を持つ親からだけでなく、その息女本人や女官たちからも人気が高く、好意を表されることは多かった。しかし、壮哲はそれに対して全く興味を示さない。  今は壮哲にその気が無く、いくら蒼国の制度上、必ずしも王が嗣子をもうける必要がなくとも、いずれ周りにせっつかれ妃を娶ることになるだろう。壮哲自身も妃を得ること自体が嫌なわけではないようだ。ならば、壮哲には、壮哲が自らがこの人、と思う女性と一緒になってほしい、と佑崔は思っていた。  だから、放っておいたらその気にならない壮哲に、そういったことに少しでも目を向けてもらえるよう、女性からの贈物や文は壮哲自身に確認してもらうようにお願いしている。  今回の贈り主である杜文莉は、家柄も本人の容姿や性質も申し分ない。まだ壮哲が王になる前から、それとなく父親の杜氏から、文莉が壮哲に好意を持っているようだ、という話は届いていた。 「すまん。見ていない」  予想どおりの返答が寄越される。 「……青磁の香炉です」 「そうか」 「……ご返礼などはいかがいたしますか」 「任せる」  壮哲がすたすたと歩きながら言う。 「壮哲様もいずれ妃殿下をお迎えする時が来ます。文莉殿は大変ご評判も良い方ですよ。お忙しいとは思いますが、一度くらいはお会いになる機会を設けられては?」  佑崔が壮哲から返された手巾を受け取りつつ、その後を追いながら声をかける。 「まだ妃は考えられないから」  頭を掻きながら言うと、すまん、もうこの話は(しま)いな、と壮哲は執務室へ逃げていった。  佑崔は足を止め、今は特にお忙しいから致し方ない、と小さく溜息をついて壮哲の後ろ姿を見送った。 * 「壮哲様の名代で参りました」  佑崔は杜氏の屋敷に来ていた。  壮哲は女性から好意を向けられても、それに気づかないばかりでなく、贈られた物や文にも関心がない。そのため王になる以前から、従者であった佑崔が壮哲の代わりに、返礼を贈るなど何くれと後始末をしている。王になってからは、贈り主が妃候補になる可能性もあるため、特に気を遣うようにしていた。  今回佑崔が返礼のために面会を求めたのは、香炉の贈り主である杜文莉だ。 「壮哲様のお心を煩わせてしまい、却って申し訳ありませんでした」  佑崔が壮哲の代わりに香炉への礼を言い、返礼の品を差し出すと、文莉は優しげで思慮深そうな顔に憂いを含ませて頭を下げた。そして、顔を上げると佑崔を気遣うように微笑んだ。 「佑崔殿にもお心配りいただいて、ありがとうございます」  壮哲からの素気無い扱いに憤ることもなく、冷静に、しかもこちらを気遣ってくれる心根の良さに、佑崔は、文莉に妃候補としても好感を持った。 「貴女のようなお美しく優しい方にお心を寄せていただいて、陛下もお幸せです」  佑崔はありったけの笑顔で文莉を労り、壮哲が今は政務に忙殺されているのを強調しながら、直接返事ができないこと詫びた。 *  そんな風に佑崔が何人かに返礼の品を届けた頃、何やら成り行きが変わってきていた。 「ん? これも私を通して壮哲様にお渡ししろということなのか?」  羽林軍の詰所で、女官からの文の宛名が自分になっているものを見つけて佑崔が首を傾げる。  近頃、女官や貴族の息女からの贈物などで、壮哲宛てでなく佑崔に届くものが増えていた。  それに関して佑崔は、返礼の品を自分が持っていくから、壮哲への取次の窓口と思われているのだな、と解釈していた。  しかし。文となると少し違うような気がする。しかも数通ある。  であれば、自分に対する要望もしくは苦情か。  そう推測しながら文の宛名に書かれた自分の名前を睨んでいるところに、理淑が後ろから覗き込んだ。 「女官の方からですか」  声をかけられて少し眉をしかめると、手にした文を見つめたまま応える。 「ええ。苦情なのかもしれません。やはり壮哲様の代わりに私がお礼に出かけるのは、出すぎたことなのでしょう」  伏した涼しげな目元が若干後悔して見える様子に、理淑が一瞬固まった後、ぶふっ、と吹き出す。 「開けて見たらどうですか?」  佑崔が吹き出した理淑をちらりと見ると、その明るい碧色の瞳が楽しげな光を放っている。不審に思いながら、佑崔は文を一つ広げた。  広げた文を手に、文字を追う佑崔の顔が次第に困惑の色に染まってくる。 「どうですか?」  佑崔の変化を観察していた理淑が声を掛けると、弾かれたように佑崔が凝視していた文から顔を上げた。いつもは上がり気味の綺麗な弓形の眉尻が下がっている。 「どうしてこういうことになるんです」  佑崔の様子から、理淑はその文の内容が自分の予想どおりだったことを察する。いつも佑崔には怒られてばかりの理淑が、有利に立っていることを感じ取り、にまりと笑顔になる。  佑崔宛に届いたその文は、佑崔への好意が(したた)められた文だった。  理淑は最近聞いた噂を佑崔に話して聞かせた。  壮哲へ贈物などをすると、見目麗しい若者が返礼を持って詫びを入れに来る、ということが女官の間で話題になった。  佑崔は壮哲の従者として長らく従ってはいたが、秦家の私的な従者という立場だったため、公に出て来ることはほとんどなくあまり知られた存在ではなかった。しかし、壮哲が即位したことに伴い、佑崔は側で仕えるために羽林軍に入った。それにより佑崔を知ることになった者は多い。  女性かと見紛うほどの繊細かつ綺麗な顔立ちの上、身体は細身であるのに、壮哲をも凌ぐ羽林軍一の手練れ。しかも、青家とも縁戚関係のある都省長官斉氏の嫡男で、王である壮哲の信頼も厚い。おまけに、壮哲の代わりに訪れたのを見るに、女性への当たりも柔らかいときている。  たちまち若い女官たちをはじめ、佑崔に好意を寄せる者は増えたそうだ。 「何ですかそれは」  理淑の話を聞いても、佑崔の困惑は増すばかりだ。 「でも、そういうことらしいよ。珠李殿が言ってた」 「いや、私はそういうつもりではなくて、壮哲様のお妃候補を留めておこうと……」 「うーん。じゃあ失敗だね。佑崔殿自身が、もってもてになってるよ。壮哲様はあんなだし、兄上は、私が言うのも何だけど、妹二人が片付かないと結婚は考えられないって公言してるし。おまけに、昊尚殿の意中の人は姉上、って噂がもう広がっちゃったしね。今は佑崔殿が一番人気になってるらしいよ?」  理淑が面白そうに言うと、佑崔は思いもよらない展開に唖然として言葉を失くした。  余計なことをしてしまっていた、と佑崔は後悔に暮れたが、それは後の祭りであった。
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