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「透? 今どこにいるの? 教室に行ったけどいないじゃない」
電話の向こうから聞こえてくる女性の声。
彼女の名前は「宮村遥」で、俺の彼女だ。
小学校から現在の中学2年まで同じ学校で、互いの仲も良好だった。俺のほうから告白して、付き合いだしたのは二カ月前。
「悪い。実は今、学校のトイレに居るんだ」
「トイレ? 何でそんなところに居るのよ」
腹を壊して便座から一歩も動けない状態。
立ち上がろうとすると、それを感じ取って腹が警鐘を鳴らすか如く腹痛を訴えてくる。
かれこれ、三十分は便座に座った状態なのだ。
幸い、腹を壊した時間が学業を終えた放課後の時間帯だったため、他の生徒に迷惑をかけることが無かった。
未だに止まらぬ便意と格闘をする俺。
「腹壊してさ、動けないんだよ。悪いけど、そう言う事だから今日は一緒に帰るのは無理だ」
電話越しに詫びを入れ、一人で帰ってもらうように伝える。
こんな状態で帰ってたら、遥に迷惑を掛けてしまう。
「…………」
「遥? どうした急に? 無言になったけど?」
「嘘ね」
「……は?」
「絶対嘘! そんな事言って、実は他の女の家に上がり込んでるんでしょ! 分かるんだから!」
「恋人がいるのにするわけないだろ」
「じゃあ、証明してみせて」
「証明……」
これは、ひょっとしてあれか? 電話越しに「愛してる、遥」とか言うパターンか? ちょっと学校のトイレという場所でそんな事言うのは躊躇いがあるけど……それで誤解が解けるなら仕方ない。
「あ、愛してる遥。お前の事が一番好きだよ……こ、これでいいか?」
「アホくさ。そんなペラペラの言葉で証明できたなんて思うの?」
「……結構勇気だしたんだけどなぁ。じゃあ、どうしたら信じてくれるんだよ」
「動画配信。本当にトイレに居るなら、動画投稿配信サイトで実況生中継できるわよね?」
「…………は?」
電話越しに聞こえる言葉に俺の脳味噌が混乱していた。
最近、耳鼻科に行ってないからどうもおかしい言葉が聞こえてしょうがない。
「えっと、もう一度聞くけど、動画配信って言わなかった?」
「言ったわよ。それが何か?」
「冗談、だよな?」
「冗談だと思うの?」
「むしろ冗談にしか聞こえない。ムリだよ、ムリ」
「嘘でしょ!? 正気なの?」
「正気だから言ってるんだろ。そんな事できる奴居たら、そいつは正気じゃなくて狂気だわ」
「呆れた。こんなこともできないなんて」
「こんなこと、って言うレベルのハードルじゃねえぞ」
ハードル走の障害物じゃなくて、山を越えるレベルのハードルだぞ。
「あ、もしかしてどんな動画を投稿したらいいか分からない? 大丈夫よ。携帯で動画配信しながら「今から僕は彼女の為に、トイレで用を足します!見ててください!」って顔出ししながらピースすればいいだけだから」
「内容が思っていた以上に鬼畜過ぎて笑えない」
「私の言った通りにすれば、透も人気者間違い無いわよ」
「違う意味でな」
そんな事をすれば、俺は間違いなく、次の日から一歩も外に出れないだろう。
「他の方法を考えてくれ。写真じゃダメなのか?」
「そんな加工や捏造が簡単にできるもので疑いを晴らそうっていう考えがダメね」
「そこまで信用されてないの? 俺」
「兎に角、私の信用を勝ち取りたいなら、実況生配信。それ以外認めないわよ」
「そんな事するよりも、遥がここに来て俺を確認すれば良いだろ」
「私を変質者にする気なの!?」
「それはこっちのセリフなんだけどなぁ……」
「最低。けど、どのみち確認は無理よ」
「どうして?」
「私、今自宅だし」
「既に帰ってたの!?」
「まぁ、そういう事だから。早い所生配信して、潔白を証明して」
「それすると、違う事で潔白証明しないといけなくなるんだよなぁ」
どう考えても無理だ。
下手すると今日のワイドショーのネタになるか、ネットで晒される。いや、ネットに自分から晒してるからこの場合拡散されるというべきか。
「他の選択肢を貰えると嬉しいなぁ……」
「ええっ!? これでも譲歩してるんだけど」
譲歩してなかったらどれだけ酷い事させるつもりだったんだよ。
「聞いてくれ遥。お前はこの実況生配信が簡単と言うが、全然簡単じゃない!」
「この期に及んで言い訳? 携帯で動画取ればいいだけじゃない」
「じゃあ、逆に聞こう。遥が俺の立場で、俺が実況生配信してくれって言われたらどう思う?」
「最低のクズ、って思うわ」
「うん、正直な感想ありがとう。あと、鏡見て言おうな。お前はそれを俺にさせようとしてるんだぞ?」
「え? 何かおかしい?」
「おかしい所しかないんですが」
会話が成立しない。
何か話をしている間にお腹の方も段々楽になってきた。
「兎に角、実況生配信は無し。何か話してたらお腹の方も落ち着いてきたから、そろそろトイレから出るわ」
「待って透!」
「うん? 何だよ?」
「もし、実況生配信せずにそこから出たら私達……別れましょう」
「どうしてそうなる」
電話の向こうから聞こえるのが、やけに真剣な声だから本気なことが伺える。
「あのさ、何で?」
「だって、もし実況生配信せずに出られたら、今回の一件で透の事が信じられなくなっちゃう。今後……いえ、一生透の事を疑って付き合っていかないといけない。そんなの嫌!」
「今でも疑われてるのは気のせいでしょうか?」
「私……待ってる。ずっと待ってるから。透がそこから実況生配信してくれるのをずっと待ってるから! あなたの痴態を世界中に曝け出して、そこに居る事を証明してくれる事を! だから、羞恥心なんかに負けないで!」
「感動的な雰囲気出してるけど、言ってることはド畜生なんだよな」
溜息しか出ない。
ここまでの話を終えて、ある決断をした。
「遥。おれから一つ言いたいことがある」
「何? 動画投稿する際の画質なら一番良い画質で――」
「俺達、別れよう」
「……どうして?」
「そのセリフが出てくること自体に驚きを禁じ得ないんだけど」
「私、何か透に嫌われるような事した?」
「今までの会話全部がそれに相当する」
「やっぱり、他に好きな女が出来たのね」
「誓って言うがそれはない。俺が好きなのは遥だけだった」
「じゃあ、実況生配信――」
ピッ、とそこで電話の通話を切った。
流れるように着信拒否の登録をし、SNSを全て遥関連の部分を断ち切る。
下ろしたズボンを戻し、洋式便座に設置してあるボタンを押して流す。
「さようなら、遥」
俺は今日、彼女と別れた。
このトイレの水と共に綺麗に思い出も流そう。
ただ、一つだけ確かなものがあった。
「別れたのに全然悲しくないんだよなぁ」
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