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『今どこにいますか?』
たしか以前もこのように尋ねられたことがあった。たしかあの時も俺は旅先で――。知らないはず記憶がちらちらと蘇る。大きな剣を携えて、世界各地を旅して、旅先であいつの手紙を受け取って…… 適当な返事ばかり返してた。
『変わりませんね、あなたは』
さっきの言葉を思い出す。変わってないのは俺だけじゃないみたいだ。
「やっと、やっと待っていてくださいましたね」
白銀の髪にエメラルドの瞳の女性がはぁはぁ、と息を切らしてそこにいた。
昔と同じようにやけに装飾の多いドレス姿、ではなく、白地に「I love 宮島」とロゴの入ったTシャツにジーンズのショートパンツ。そして手に持っているのは串にささった揚げもみじ。こいつ……
「人を追っかけてる割に随分楽しんでんじゃねぇか」
「い、いえこれはおいしそうだったのでつい!」
それは何の言い訳にもなってないのだが……
「……フッ」
「あ、今笑いましたね! 私、すっごく大変だったんですから。むしろこれくらい許してほしいものです」
「いや、悪い。本当にお前も変わっていないものだから、嬉しくて」
笑う俺を目を丸くして見つめる彼女は震える声で聞いてきた。
「私を、覚えていてくださったのですか?」
「覚えていた、というより思い出したという方が正しいな。俺はパラディシア王国の三大諸侯の一つ、ホークエッジ家のルチハ。……前世が、な」
こことは全く別の世界にて剣聖と呼ばれていた俺は堅苦しい家のしきたりが嫌で旅にばかり出ていた。それを追いかけようとするこいつの手紙にはいつも適当な返事ばかり。俺が同じ土地でこいつを待つことなど一度もなかった。
「いつも通りお前の手紙を受け取った俺は、その日ひどい嵐に見舞われて乗っていた船がひっくり返った」
「ええ。それで亡くなられたあなたは、新たに生を受けて、全てを忘れ、この国に生まれた。それでも私は、あなたに会いたかった」
胸に手を当てて柔らかく微笑む彼女はふいに俺の元へ駆け出して飛び込んできた。ギュッと、温かい腕に包まれる。
「やっと捕まえました。ずっと、ずぅーっとこうしたかったんです。ようやく夢がかないました」
彼女はそこで俺の顔を見上げて笑う。うるんだ瞳に落ちていく紅葉がちらりと映った。何を言っていいのか、謝っていいのか、それとも感謝を伝えるべきか、俺にはもうわからなかった。ただ橋の上、冷たい風を背中に受けながら、目の前の彼女の温もりをひたすらにうれしく思うだけ。それだけで十分だった。言葉を返す代わりに、俺も彼女を包み込む。
「フフフ、温かいです」
「……そうだな」
どれくらい経っただろう。西日がやけに眩しくって、俺たちは茜に焼けた空を眺めた。
「……綺麗ですね」
柔らかな風が紅葉の木を撫でてひらりひらりと葉を落としてゆく。宙を舞う葉は茜色に燃やされながら、また空を赤く彩って……彼女のエメラルドの瞳を灯した。
「ああ、綺麗だ……なぁ、エマ」
そこで今日初めて彼女の名前を呼ぶ。エマは目を見開いて、そしてすぐに嬉しそうに目を細めて答えた。
「なんでしょう?」
その体は夕日に染められている。日はゆっくりとだが、確実に落ちていく。エマの透けている体を見て、さらにそれを実感した。
「いつまでもお前は俺の婚約相手だったよ。その認識は最期まで変わらなかった。……今だって、そう思いたい」
エマは黙って聞いていた。その実態がゆっくりと薄れながらも、静かに俺の話を聞いていた。
「『今どこにいますか?』って手紙でさ、お前毎回書いてたよな。その度に俺は適当に答えて、お前が騙されて。でもそれが楽しかった。追いかけてくれるのが嬉しかったんだよ。大事なことを今日、思い出せたんだ」
日はもうほとんど落ちかけて、残ったほんの少しの茜が今にも消えそうなエマを形作っている。俺はもう終わりの時間がすぐそこにあることを知って、もう一度強く抱きしめた。
「だからさ、また俺を追いかけてくれよ。生まれ変わってさ、この世界で。また俺を探してくれよ。……今度もちゃんと、待ってるから」
エマは俺の耳元でフフッとくすぐったく笑う。
「約束ですよ」
するっと煙のように、彼女はもうそこにはいなかった。声の余韻だけ、藍色の橋の上に残して、消えてしまったのだ。もう串にささった揚げもみじも、白地の観光Tシャツも、白銀の髪も、エメラルドの瞳も、空の茜とともにわからなくなってしまった。
藍色に汚された紅葉が、そっと、暗い橋の上に落ちる。
俺はそれをひょいと掴んでもちあげると、そのまま谷の下へと放した。それが谷底に達するその前にどうにかその場を離れようと駆け足で紅葉谷公園を抜けた。
今頃きっとまた別の葉があの葉を追いかけているのだろう。魔法でも奇跡でもなんでもなく、想いが実っていつか重なると信じて。
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