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結局、ホルモン療法をしながらだったために予定金額が貯まるまで三年かかった。両親はすでに分かっていただろうが、大学受験を控えた冬、私は鍋を囲む夕飯時に明日の予定で告げるかのように打ち明けた。
「私、性転換手術をします」
「そうか。そのためのバイトだったのかい?」
すんなりと受け入れてくれる父さん。
「とうとう体も女の子になるんだね。いつやるんだい?」
母さんも世間話でもするかのように受け入れる。
「高校を卒業してから。大学に合格しても落ちてもそれは変えないから」
「うん。樹が幸せになれるなら文句はないよ」
昔から父さんはそうだ。父さんは苦手だ。大好きだけど苦手だ。飄々としているものだから考えていることが分からない。そのくせ私の一番の理解者だ。
この人にはどうしても敵わない。今までもこれからも。母さんの考え方さえ簡単に変えてしまうような人だ。ただ一つだけ心残りがある。父さんは男の子を欲しかったという事実。
決めたことを変えるつもりはないが、ほんの少し私の中に罪悪感があるのだ。
性転換手術より前の大学受験はなんなくこなし、私は無事に高校を卒業した。性転換手術の予定日も決まり、あとはそれに対して備える日々。淡々としているようで何かと忙しかった。
両親共に協力してくれたが、性転換手術の前夜。夕飯の前に自室にいた私に父さんが声をかけに来た。
「樹、覚悟はいいか?」
「今更だよ」
「そうか……」
「父さんはやっぱりイヤだとか思うの?」
「そんな訳ないだろう……」
珍しく歯切れの悪い父さん。
「何かあったの?」
「うん……あのな……」
「うん」
「今夜だけ……今夜だけ息子として父さんの晩酌に付き合ってくれないか? 酒なんか飲まなくていい。ただ一晩だけ息子との時間を過ごしたいんだ……。一生一度のお願いだら」
ついクスリと笑ってしまう。
「うん。いいよ。父さんのスーツ借りていい?」
父さんはコクリと頷いた。父さんを居間で待たせて父さんのスーツを来て、髪を縛る。ネクタイも締めてから父さんの待つ居間へと向かう。
「僕、スーツなんてはじめて着るよ」
父さんの前でおどけて見せる。僕という一人称を使ったのも何年ぶりだろう。
「樹、ありがとう……」
母さんは邪魔をしないように部屋の隅で本を読んでいた。テーブルには簡単なおつまみとノンアルコールビール。母さんが準備してくれたのだろう。
「じゃあ父さん、乾杯」
カツンとノンアルコールビールの缶をぶつける。父さんは、クイッとそれを呷る。口を缶から離してから静かに語り出した。
「樹は娘だ。それは紛れもない事実だ。ただ息子と晩酌する夢も父さんの事実なんだ……。本当に申し訳ない。もう今夜しかないんだ……」
「父さん。父さんの夢を叶えられるなら僕は問題なく付き合うよ。ずっと僕の背中を押してくれたから。本当に父さんが父さんで良かったよ」
「うんうん。樹が生まれたときは嬉しくて仕方なかったが、樹は明日生まれ変わるんだもな。一人の子供の誕生を二度も味わえるなら父さんも樹の父であることを誇りに思うよ。ちゃんと幸せになるんだぞ?」
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