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「昨年から議題に上がってます、清白学園と尾花高校の渡り廊下の件ですが…」
議事進行が、うんざりした顔で発言した
その議題が読み上げられた瞬間、出席者は皆一様に下を向き、こっそりとスマホを弄ったり、居眠りを始めた
「取り壊し費用をどちらが持つかということで、双方の意見を聞きたいと思います。えー、まずは清白学園の清白理事長…」
どこかの学校の席からイビキが響いてきた
このように、誰の得にもならない不毛なやりとりが、この総会では毎月繰り広げられていた
※※※
『渡り廊下取り壊しの反対署名を!』
移動教室の途中、女子校には不釣り合いな穏やかではない文言が踊るポスターの前で、安西楓花は立ち止まった
「これ何?」
「あ、安西さんにはまだ教えてなかった。ここの学校と隣の学校って、実は一ヶ所だけ渡り廊下で繋がっているところがあるの」
転校2日目の楓花は知らないことだらけだ
教えてくれたのは、転校生のお世話係である小松依子だ
帰国子女の転属が多いこの学校に、伝統的に存在する珍しい係といえよう
「隣って男子校でしょ?それはまずくない?」
「前に合併して共学にしようっていう話が持ち上がったときに作ったんだって。でもいまはフェンスで封鎖されてるから行き来はできないよ」
「ほーん」
「まだ案内してなかったし、今日の昼休みにでも行って見ない?うちの学校の渡り廊下は、エコアップのビオトープで綺麗だよ。私もお気に入りなの」
エコアップとは、生物が生息するのに適した環境を人為的に作り上げること
ビオトープとはその生息場所のことをいう
総じて美しい環境であることが多い
小柄で色白、はにかんだ笑顔がてんとう虫のように愛らしい依子にはきっと似合うのだろう
「そんなところにあったのか」
「何か言った?」
「ううん」
楓花は昼休みが待ち遠しくなった
※※※
転校初日は緊張と気合でなんとか保ったものの、2日目となると緊張より眠気が勝って、楓花は授業のほとんどを寝て過ごした
お嬢様学校はもっと風紀に厳しいと思っていたが、楓花が前にいた23区内の都立の進学校よりも緩く、一度も注意されることはなかった
この学校に転校させてくれた親には感謝だ
渡り廊下は旧校舎の南端にあった
渡り廊下へと続く階段の途中から、すでに緑色の陽光が足元を照らしていた
扉はガラスの観音開きで景観を邪魔することはない
楓花は目に飛び込んできた景色の美しさに心を奪われた
「こんなに綺麗に手入れされているなんて」
楓花はまず目についた小川に飛びついた
湿地や薮、田んぼなど、小さいながらも里山を再現したビオトープを楓花は隅々まで見て回った
依子はニコニコと待っていてくれた
「依子」
「未月」
同じクラスの玉出未月が声をかけてきた
ギャルギャルしい容姿だが、国内でも有数の企業の一人娘だ
「転校生のお世話?」
「うん」
「ふーん」
未月は、小川に生息するハヤを目で追っている楓花を物珍しそうに見た
「変わった子みたいね」
「面白いよ」
「あんたは変わり者好きだから」
その時、未月を呼ぶ声がした
昼食を一緒に食べていた友達がいたらしい
未月は自分より10センチ以上背の低い依子の肩を叩くと、呼ばれた方に走っていった
「安西さん、お昼ご飯だけ買っちゃおうか」
「ああ、ごめん」
ビオトープには自動販売機がなかった
代わりに、昼休みの間だけ購買のパンと紙パックのジュースが買えるワゴンが出ていた
ダメージ加工が施された無垢材でできた屋根付きワゴンを見て、楓花の目がまた輝いた
「このワゴンも素敵だなあ」
楓花が舐め回すように見ていると、販売員が嬉しそうに
「ありがとう。これ、うちの旦那が作ったの」
「マジ?天才かよ。俺もこういうの作れるようになりたい」
ほーとかはーとか、ここ、こういうふうに組み合わせてあるんだあ、などとまたも買い物そっちのけでワゴンに釘付けの楓花を眺めていた依子に、販売員が話しかけた
「転校生かな?」
「そうです。安西楓花さんと言います」
「ふふ。今回は特に変わり者」
「いつものことです。安西さん、早くしないと昼休み終わっちゃうよ」
「あ、ああ」
楓花はパン2つとミルクを手に取ると財布を取り出した
「あ」
手元が狂い、財布から100円玉が転がり落ちた
「あ、あ」
100円玉はコロコロと転がっていく
「おい、ちょっと待て…」
100円玉は、他の生徒たちの足元を、まるで目でもついているかのように避けて進んでいく
「あー!!!」
ついに100円玉はフェンスの下をくぐり抜け、無常にもそこで倒れた
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