第1章[鞘と刀治]

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第1章[鞘と刀治]

「こんなところでなにしてんすか?」 矢崎刀冶が岸井鞘に初めて話しかけたのは 2003年の10月、5ヶ月前のことだった。 公園でベンチに座っている鞘を塾帰りに見かけたのだ。 「いえ、なにもしてません!」 鞘は慌ててしまい、年下を相手に敬語で返事をした。 それに対して刀治は、なんだか可愛く感じて笑ってしまった。 「ごめん、驚かせちゃった?マンションの隣の人ですよね?」 「あっ、はい......。あ、えっと、何かしていたわけじゃなくて、 というか、何もしたくなくて、したく、なくなって......」 鞘は刀治のほうを見ずに言っている。 「うちに帰りたくないって、なって」 「なんで?」 率直な疑問を刀治はぶつけてみた。 「帰ったら現実が待っている......」 鞘も率直な事実で返答したが、どこか病んだ感のあるものだった。 コンビニで夕飯になるような弁当を買い、独り暮らしのマンションに戻り、 シャワーを浴びてから弁当を食べ、眠れば、また起きて会社に行く。 週末は特に楽しめる趣味もない。 それを繰り返す現実が、自室に戻れば始まってしまう......。 そういう意味だった。 鞘は会社員としても社会人としても人間としても疲れきっていたのだ。 「すごくカッコイイのに、社会で生きるのって大変なんですね」 「え?」 鞘はようやく、刀治のほうをみた。 「あ、いえ、エリートサラリーマンなんでしょ?スゴイですよね。 いつもビシッとした服装と顔立ちで、バリバリ働いてそうって思ってたから」 「いや、君こそ、カッコイイよ。長身だし。 それにマンション内で会う人たちによく言われるよ? 隣に住んでるご家族の息子さんは成績優秀で、気立ても良い子だって」 「そうかなあ、俺なんてまだまだガキっすよ」 そう言って笑う顔には確かに、あどけなさはあった。
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