いつか、君と。きっと、君と。

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『おっ、一番星』  弾んだ声と共に、不意に視界が開けた。足を止めると、右隣で大陽がいつもの笑顔で空を示した。 『ほら……木星かなぁ』  闇は、鮮やかなオレンジに藍色の絵の具を溶かした夕空に変わり、その中に黄色っぽい光がポツンと輝いている。それがなんの星なのか、俺には全く分からないけれど。 『日が暮れるの、早くなったよなぁ』 『もう11月だからね』 『寒くなるとさぁ、星が綺麗になるんだ』  冷えた両手を擦って、キャメルのコートに入れようとしたら、右手を掴まれた。そして大陽は、自分の濃紺のコートのポケットに握ったままの掌を収める。あんまり自然の流れで入れるから、たしなめる気にもならない。 『俺の生まれた町って、ここより田舎だったから、星がよく見えてさ……宝石箱みたいなんだよ』 『ふぅん』 『いつか、お前にも見せたいなぁ』  彼が生まれ育った海辺の町。その海で、彼は弟を亡くしている。海を見ると辛いからと越してきたのに、その町の空を俺に見せたいと笑う。彼は、辛い記憶を克服出来たのだろうか。だったら、俺も克服しなくては。そう、そのために、俺は――。 「……寛斗クン」  パッと瞼を開くと、薄明かりの中、有子山先生の穏やかな眼差しが正面にあった。 「気分は、どう?」  俺は、ゆっくりと深呼吸する。 「はい……大丈夫です」  月2回、無理のないペースで認知行動療法を始めて、3ヶ月が経った。有子山先生は、俺に具体的なイメージを浮かべさせて、不安が高まる境界を探っている。丼一杯の水は大丈夫。洗面器一杯も克服出来た。だけど今日、バスタブ一杯を思い浮かべたら息苦しくなった。この治療では同時に、パニック発作が起こりかけた時、俺自身で静める方法も訓練している。 「目を閉じた時、空に光は見えたかい?」 「はい……1番星が」 「そうか。他には?」 「あの、と……友達が隣に」  あれは、半月前に帰宅した時の記憶だ。本当にあったことだから、やけにリアルに感じたのだろう。大陽に握られた右手だけが、ほんのり火照っている。 「友達? 親友かな」 「は、はい」  有子山先生は、少し考えるような仕草のあと、ウンウンと頷いた。 「その人は、寛斗クンの問題を理解してくれているんだね」 「……はい。分かってくれてます」 「それはとても大切なことだ。その人の存在が、君に力を与えてくれているんだなぁ」  頰がちょっと熱くなる。だ、大丈夫。部屋の中は薄暗いから。 「初めて、発作をコントロール出来たね」 「あっ。そういえば……」  乱れて息苦しくなりかけたのに、すっかり呼吸は落ち着いている。滲んだ冷や汗も止まったし、身体も温かい。なによりも、気持ちが安定している。 「うん。今回のイメージを忘れないで。今日は、ここまでにしよう」  有子山先生はリモコンを操作して、室内の照明を上げた。俺は慌ててペコリと一礼すると、赤くなった顔を隠しつつ、そそくさと診療室を出た。 『終わったよ。今、そっちに行く!』  クリニックのドアを出た途端、LINEした。あれから、通院日には必ず、大陽が駅前のマックで待っている。診療が終わったら、2人で軽く食事して帰るんだ。彼は「心配だから」なんて言い訳していたけれど、俺の通院が少しでも苦にならないように、楽しい約束(きまりごと)を作ってくれたに違いない。  だから、いつか、一緒に。彼の生まれた町へ、海の上に広がる満天の星を見に行くんだ……きっと。 【了】
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