いつか、君と。きっと、君と。

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「それで、今夜は、あんなところで、どうしたんだい?」  リモコンで部屋の明度を上げてから、有子山先生は給湯室でいれてきた紅茶を出してくれた。温かい湯気からは、仄かに甘いリンゴの香りがする。 「はい。駅前のビルの外壁に、大型ビジョンがありますよね」  先生はカップを傾けて、頷いた。 「旅行会社のCMが流れたんです……海が……波が、迫ってきて……」  思い出さないように首を振った。 「どうして? いつもは、見ないように気をつけていただろう?」 「はい。そうなんです、けど……」  5日前のことだ。  参考書が欲しくて、商店街の書店に寄った。ちょうど商店街あげての大売出イベントが開催中で、福引の補助券を17枚もらった。その帰り道。 「あの……大丈夫ですか?」  お婆さんが、大きなエコバッグを引きずっている。どうして道行く人は黙って見ているんだろうと思うけど、経験上、世間ってそんなもんだ。僕が発作でしゃがみ込んでいても、通り過ぎる足音がほとんどだから。 「えぇ……特売だっから、ついねぇ」  安売りのチラシに釣られて、いつも買い物するスーパーより遠いけど、この商店街まで足を伸ばしたのだと言う。お婆さんは、汗ばんだ顔で眉尻を下げた。 「配達してもらえなかったんですか?」 「配達料がかかるのよ、そしたら安売りで買った意味がないでしょ?」  困ったように笑う。だけど自力で運べないんじゃ……内心呆れながら、とりあえずバス停まで運んであげることになった。 「細っこいのに、男の子だわねぇ。すまないねぇ」 「いえ。でも、バスを降りた後は大丈夫なんですか?」 「そうねぇ。息子が会社から帰ってくるのを待つことにするわ」  少し不安になったけど、お婆さんはバス停にはベンチがあるからと明るく笑う。こういうのって、たくましいって言うんだろうか。10分程歩いて、バス停に着いた。お婆さんは何度もお礼を言って、最後に思い出したように手提げ袋から福引の補助券をくれた。普段こっちには来ないから、無駄になってしまうと言われたし、お金じゃないからと説得された。受け取った補助券は18枚。30枚で1回、ガラガラクジを引くことが出来るそうだ。せっかく集まったから、翌日、塾の帰りに回したら――。  カランカラン! 「おめでとうございます! 1等が出ましたぁ!」  法被姿のおじさんが金色の鐘を振る。俺は、1泊2日の温泉宿泊券を引き当ててしまった。 「それで、両親に宿泊券をプレゼントしたんです」  少し湯気の消えたアップルティーをコクリと流して、喉を潤す。  有子山先生は、穏やかな眼差しのまま、根気強く話を聞いてくれる。俺が、このクリニックに定期的に通う患者だからなのかもしれないけれど、今はもう診療時間外。今夜ここにいるのは診療じゃなくて、偶然だった。
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