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「おいっ! 君、大丈夫か?」
強い力に両肩を掴まれた。息が詰まる。苦しい。目の前が暗く――。
「寛斗クンか?」
ドキン。しゃがみ込んだ耳の近くで低い声が、俺の名前を呼んだ。知り合い……いや、この声は。
「やっぱり寛斗クンか! 大丈夫、僕を見て? 大丈夫だ」
キュウッとしまりかけた喉の奥が微かに緩む。
「ぁ……あり、こ……」
「いいから! 喋らないで。ゆっくりだ……ゆーっくり、息を吐いて……」
言われたように吐き出す。頭がふらふらしたが、有子山先生が肩と背中に手を添えて支えてくれているから、少しホッとした。それが良かったのか、気持ちが落ち着いてきて、ようやく深呼吸出来るようになった。
「あ、マズいな……」
有子山先生が呟いた。俺達の足元のアスファルトに黒い丸模様が現れた。
ポツン
震えている手の甲が濡れる。こんな時に、雨が降ってきてしまった。
「せん……せ……」
怖い。まだ十分に動けないのに、激しい雨になったら……。考えると、また呼吸が乱れる。
「寛斗クン、まだ辛いだろうけど、頑張って。僕が支えるから、ひとまずうちのクリニックに行こう」
力強く決断した有子山先生は、俺の身体を起こすと、ほとんど抱えるようにして、近くの建物に連れて行ってくれた。エレベーターに乗って、薄暗い廊下を通って――気が付いたら、診療室のソファーに座っていた。
「先生、さっき……お帰りになるところだったんですよね?」
壁の時計を盗み見る。短針はもうすぐ9時を指す。このクリニックは、確か夜間診療を行っていたけれど、それだって8時には終わった筈だ。
「そう。だけど、苦しんでいる人を見捨てて帰ったりしないよ」
有子山先生は、爽やかに笑う。多分30代後半。だけど、4年前から見た目はあまり変わらない。
「すみません。ありがとうございます」
「それに君は、大切な患者さんだからね。おっと、この言い方はマズいな。自分の患者さんじゃなくても助けるよ、僕は」
屈託なく笑うと、彼もカップを傾けた。低い声が心地いい。改めて見ると、彼はスポーツマン風のイケメンだから、指にリングはないけれど、多分パートナーはいるんだろう。
小4の時に川で溺れ、水がトラウマになって以来、通い始めて、4年間。月に1度、診察を受けているけれど、先生のプライベートについて考えたのは、今夜が初めてかもしれない。
「僕の方はいいけど、君は連絡した方がいいな。帰りが遅いって、家の人が心配しているんじゃないか?」
「あっ。そうですよね……。ここでかけていいですか?」
「うん。僕も一言話すよ」
「すみません」
足元のバッグに入れたスマホを取り出す。着信があったことを示す黄色い灯りが左上でチカチカ瞬いている。急いでタップすると、LINEと留守電がたっぷり堪ったまっていた。その中には、家族に混じって大陽からの連絡もたんまりある。『後で』と一方的に連絡を断ってから、1時間近くになっていた。優しいアイツに、どれだけ心配かけてしまっただろう……。
まずは自宅に連絡した。母さんが出たので、有子山先生に代わる。彼は手早く事情を説明して、通話を終えた。
「お母さんが迎えに来てくださるそうだ。良かったね」
母さんは明日もパートなのに、迷惑かけてしまった。中学生にもなって、情けない。
「もう一杯、飲みながら待っていよう」
俺の肩にポンと触れると、有子山先生は、2つのカップを持って、クリニックの外に出ていった。
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