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『寛斗! お前、今、どこにいるんだよ!』
LINEでもなく、メールでもなく。突然の着信。いつまでも止まないメロディに、「すみません」と言い置いて、スマホをタップすれば、いきなり滑舌の良い声に叱られた。
いや、別に約束をすっぽかした訳じゃない。叱られる理由はないんだ。だけど俺の耳は、板の向こうから飛んできた言葉に、苛ついたトゲが生えていることを感じ取っていた。
「大丈夫、だから……」
極力抑えようとしたけれど、語尾が震えた。タイミングが悪すぎる。どうして、こんな時に。
『全然大丈夫じゃねぇだろ! 迎えに』
「来なくていい」
口を開くのも、しんどい。眉間にシワが集まってくる。一方的に通話を切って、その指で短いメールを送った。
『あとで連絡する』
心配していることが分かっているから、身体だけじゃなく心までも苦しい。それでも、アイツには悪いけど、今はそっとしておいて欲しい。マナーモードに切り替えて、足元の鞄に滑らせる。身体が重くて、屈んだ拍子にバランスを崩してグラリ傾くと、背後から抱き止められた。
「あっ、すみませ……」
意外と筋肉質なたくましい腕に驚き、ビクンと肩が跳ねた。俺を支える力は強いのに、ゆっくりと労るように優しく、身体が後ろに引き戻される。
「大丈夫?」
座っていた1人掛けのソファーに再び体重を預けると、大きな両手に包み込まれたみたいな感覚に少しホッとする。コクリと頷いたら、肩をポンポンと叩かれた。触れられた場所がほんのり温かい。
「深呼吸できる? そう、ゆっくり……」
右隣の椅子に腰掛けた有子山先生は、見慣れた白衣ではなく、ビターチョコを溶かしたような茶色のスーツ姿だ。緩く後ろに流した柔らかな髪。フレームのない眼鏡の奥から、理知的な瞳が俺を捉える。
「目を閉じて」
穏やかで落ち着いた低めの声は、耳から溶け出した媚薬みたいに緊張を解いていく。彼の言葉に従って、瞼を下ろす。間接照明のまろやかな灯りが閉め出されると、途端――腹の底に潜む不安と恐怖がウゾウゾと蠢き出した。
「寛斗クン。深呼吸して。ゆっくり――そう、上手」
絶妙なタイミングの声かけで、不快感の鎌首がパキッと折れて、うねりが砕ける。先生の言葉は、消波ブロック。高まる恐怖が溢れないように、見えない壁を積んでくれる。
「そのまま、イメージしてごらん……見上げた空には、なにが見える?」
瞼の下で瞳を上げる。暗闇が広がっている。闇は深くて、果てがない。飲み込まれそうな気がして、治まりかけたゾワゾワ感が足元から這い上がってくる。
「暗くて……なにも」
「暗い? よーく見て。小さな光が見えないかい?」
「ひかり……」
濃淡のない、のっぺりとした黒。その中を探す――探す……懸命に探したけれど。
「なにも……見えません」
落胆して答える。見えたら、なにかが変わるのかもしれないのに。
「そうか。うん……焦らないで。大丈夫? まだ苦しい?」
「あ……いえ。もう、大丈夫、です」
改めて問われると、当初の息苦しさは消えていた。身体の怠さは少しあるけど、重くはない。
「じゃあ、目を開けて……ゆっくり」
言われた通りに瞼を持ち上げる。淡い光が優しい。何度か瞬きして、深く息を吐いた。
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