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そして、今…
担当の高原さん…御歳41歳、男、独身…の視線が相当痛い。
「葛西さん…どういうおつもりなんですか?
遅刻した挙句に犬を連れて来るなんて…前代未聞ですよ、こんなの。
あなた、うちとの取引を真剣にお考えなんですか?」
「いえ、あの、申し訳ありません!ふざけてる訳じゃないんですっ。
本当に、本当に申し訳ありませんっ。
高原さんの貴重なお時間を無駄にしてしまって…」
そう。あの後…
子犬のたった一声の強烈な泣き落としに負けた俺は、その場に誰もいないのをいいことに、ストリップさながらアンダーシャツを脱ぐと、その子を包んで胸元に押し込み、そのまま商談に望んでいたのだった。
遅刻って言っても、1分なんだけど。
でも、まぁ、遅刻は遅刻。言い訳できない。
とにかくひたすらに頭を下げて謝罪して、高原さんのネチネチ文句をエンドレスに聞いていた。
その間、子犬は大きな目をキョロキョロさせて、大人しく俺の懐に収まっていた。
「高原、もうそのくらいでいいだろう?
葛西君、いいから頭を上げなさい。」
穏和な声にホッとしながら顔を少し上げると、専務の小川さんの笑顔が飛び込んできた。
既に事情を聞いていたらしい彼は高原さんと俺の間に割って入り、腰をかがめて子犬の頭をちょんちょんと撫でた。
「俺は猫派だけど、この子はかわいいねぇ。
いやぁ、葛西君が犬好きだとは知らなかったよ。
普通は見捨てて置き去りにするんだけどねぇ。
動物に優しい奴には悪い奴はいない。
うん、気に入った!
葛西君、君の会社と取引をしよう!
もちろん、君が担当だよ。」
「あ、ありがとうございますっ!
今後ともよろしくお願い致しますっ!
あ、でも、次回からは犬は連れて来ませんのでっ!」
「専務ぅ……なんか俺1人が悪者みたいじゃないですかぁ。」
「高原、さっきから撫でたくて仕方がないって顔してるぞ。」
さっきまで怒っていた高原さんも一緒になって大爆笑の渦の中、子犬がうれしそうに『くぅん』と鳴いた。
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