届かない空

2/2
前へ
/19ページ
次へ
「シャバの空気は美味い……なんてな」  広々とした空を見るのは久しぶりだったが、今日も鬱陶しいぐらいに晴れ渡った空が広がっている。 太陽が唯一神のように夏空に君臨し、すべてを焼き尽くすかのように燦然と輝く。連日そう気張らずに少しぐらいは手加減をしてくれてもよさそうなものを、アスファルトから上がる熱気が景色を歪め、上空からだけではなく地表からも同時攻撃してくる。  空を見上げるのは好きだったが、ここ数年は鉄格子の向こうに見るか、高い塀に囲まれた運動場から見上げる四角く狭い空しか味わえなかった。 久しぶりに開放的な場所と気分で見上げれば何か変わるかと期待してたのだが、刑期を終えた男が1人見上げる空の感慨深さなど大したことはなく、むしろ夏の暑さを増大させただけだった。 「燃やすならいっそ思い出ごと焼いてほしい」  決して海水浴には向かないであろうゴミの漂着する浜辺で、知らず知らず俺――公野 奏太(きみの かなた)は呟いていた。  どれぐらいそうしていただろう。 気がつけば打ち寄せる波に衣服が濡れていたが、それでも座り続ける。 心は乾いたままなのに、ジリジリと焼かれた肌にかかる波飛沫に一瞬でも気持ちいいと感じる生存本能が悔しかった。  思い付きで手を伸ばすと、波の動きに合わせて揺蕩うゴミが絡みつく。ゴミと藻が絡みついた腕をそのまま夏空に向かって伸ばしてみたが、もちろん白く優雅に泳ぐ雲は掴めやしない。当たり前のことだ。 「所詮ヒトの手に掴めるものなんて、薄汚れた現実だけなんだ」  独り言ちながら絡みついたゴミを剥がし取るが、茶色く枯れ果てた藻の向こうに、傷だらけの手首が透けて見えてしまう。傷は完璧に塞がっているはずなのに、海水が傷と心にヒリヒリと染み入る気がした。  夏の浜辺に座り込むのは初めてではなかったが、以前は昼ではなく夜に夏空を見上げていた。星が見えない空にどことなく違和感を覚えるが、それよりも何よりも1人で見上げていることの方が気にかかってしょうがない。 ――元気にしてるかな?  昼だろうが夜だろうが関係ない。 夏の空はどうしてもあの女性(ひと)を思い出してしまうから嫌いだ。  彼女との最後の日の記憶は、呆然とした様子で立ち尽くす彼女の姿。 俺が大好きだった綺麗な目を悲しみに濁らせ、絶望の眼差しで俺を見ていた。  俺と彼女の間には、鮮血に染まる彼女の父親が小さな呻き声を上げながら転がっていた。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加